生まれ育った九州の田舎町に、春の花の名前がついた百貨店があった。現在は廃業してしまったが、戦後15年後の昭和35年に建てられた百貨店で、物心ついた頃には既に町の中心部で皆が集まる場所となっていた。私も幼稚園児や小学生の頃は屋上の遊具で遊び、中学生になったら制服制帽でのど自慢大会を見に行き、高校生になると参考書を買ったり学校帰りに買い食いをしたりと、生活の中に自然と入ってきている場所だった。 当時は町一番の高い建物だったのだが、実際には私が子どもの頃は屋上のある4階建ての建物で、4階には周囲を一望できる食堂があった。レストランではなくいわゆる銀皿食堂で、当時としては珍しいハンバーグ定食やスパゲテ…