大日本帝国とニューギニア島の本格的な接触は、どうも昭和六年に始まるらしい。 このとし、同島に開発権を保有していたドイツのとある拓殖会社が経営難に陥った。 すかさず権利を買い取ったのが、南洋興発株式会社だ。南方開発の大手たること、「海の満鉄」というその通称が何より雄弁に物語る。日本で拓殖会社といえば、何にもまして満鉄のイメージが浮かぶこと、今も昔も変わらない。 彼らが主に活動したのは、モミ(Momi)・ナビレ(Nabire)・サルミ(Sarmi)の三地域。いずれも今ではインドネシアに吸収された、西ニューギニア北海岸沿いの地域であった。 この三ヶ所に、ぜんぶで四十人前後の社員を派遣し、その四十人が…