ユージン・スミスは従軍カメラマンとして参加した沖縄戦で、間近で炸裂した砲弾のために危うく顔を吹き飛ばされかけた。口が目の下あたりまで裂けていた。 指が動かせるようになった時、真っ先に撮った写真が《楽園への歩み》だった。日常のスナップに見えるが、実際には納得いくまで何度も撮り直した。モデルになった息子さんの証言だと、二眼レフのファインダーを覗こうとして俯くと、まだ癒きれない傷口から膿がカメラに落ちた。 ユージン・スミス《楽園への歩み》 その後、ピッツバーグ市史のための仕事に取り掛かった。3年をかけて膨大な量の撮影をしたが、完成させることができなかった。家族とも別れ、《楽園への歩み》を撮影した郊外…