Stéphane Mallarmé (1842-1898)
19世紀フランスの詩人。 その作品は象徴詩と呼ばれ 難解とも言われるが 現在に至るまで詩のみならず分野を超えて多大な影響を与えている。 代表作は『半獣神の午後』。 これにはドビュッシーも曲をつけている。 また別にドビュッシー ラヴェルらの歌曲もある。 →マラルメも参照。
森開社上梓。ヴィリエ・ド・リラダン伯爵とステファヌ・マラルメの間に交わされた書翰集。互いの存在が、彼岸世界の詩人らをして、しばし現世にとどまる理由にすら成り得た友情。手紙は歯抜けで、内容に満足はしていないが、それでも示唆に富むものであった。 以下、若きヴィリエがマラルメにおくった文をみて欲しい。 ああ!二人だけで、取分け心地好い夕方を過ごせたらばと思う。なぜならあなたの言うこと為すことを私がどんなに愛しているかお分かりでしょう! 人はヴィリエの「逆説」や「韜晦」に眩惑されている。これらはブルジョワどもに笞搏つため、彼が用いた已無き武器に過ぎない。彼の魂の裡の熱き涙をこそ、人は知るべきである。 …
ヴィリエを偲ぶステファヌ・マラルメによって、1890年2月にベルギーで行われた講演のテキスト。その翻譯の森開社による上梓。随分と前に神保町の田村書店で購入して目を通したが、覚書を遺していなかった。翻譯が拙く読み難いテキストである。 彼の読書量は厖大なもので、しかも一読紙背に徹し、(...)とくに好んだのは人間の潜在的な偉大さに関わりのあるものでした。その偉大さが現われる可能性を、歴史のなか、精神のなかにさぐり、現世において偉大さが実現されるのを疑うようになりました。 ひたすらおのれの夢のなかだけに生きてきた男が、五十二歳で(これまで戦いに明け暮れてきたため)年齢も定かならぬほど老けこみ、(..…
【あ】アーモンドの樹(ウォルター・デ・ラ・メア)アイオワ野球連盟(W・P・キンセラ)愛しているといってくれ(マージョリー・ケロッグ)愛の果ての物語(ルイザ・メイ・オルコット)青い花(レーモン・クノー)赤い高粱(莫言)赤毛のサウスポー(ポール・R・ロスワイラー)悪魔なんかこわくない(マンリー・ウェイド・ウェルマン)悪魔に食われろ青尾蠅(ジョン・フランクリン・バーディン)悪魔の収穫祭(トマス・トライオン)悪魔のベッド(ジャン・レイ)悪魔はぼくのペット(ゼナ・ヘンダースン)悪夢の化身アシスタント(バーナード・マラマッド)明日に別れの接吻を(ホレス・マッコイ)熱い太陽、深海魚(ミシェル・ジュリ)あっぱ…
もどかしくてさわれない“life”動きや性質を抽象能力にする、そのせっかちで、真剣で、しゃべりづめの、人の集合と分離とに潜む腐敗を認める、“life”声なき声を進む、『眼の邪悪は破壊と再創造』の中へ、(死と生殖にアメーバーや、不老不死のベニクラゲを夢見る頃、)だるく、(see live shadows...)つめたく、(see live shadows...)すえた珈琲の中に、生命スープの夢想、、、打ち消す、覚える、感じる、誘い出す、、、、“life”離婚の話木を削り、塗装をし、絵を描き、それがアクセサリーになるように、ウガンダのムサ・ハサヒヤという人物は、(頭の悪いなろう小説のハーレム物のよ…
【シリーズ=教養の饗応】(12/14配信第48号) 今は、二十四節気の「大雪(=たいせつ)(12/7-12/21)」、 七十二候の「熊蟄穴(くまあなにこもる)(12/12-12/16)」です。 昨日12月13日は、「赤口(しゃっこう)」です。 本日12月14日は、「先勝(せんしょう」です。 明日12月15日は、「友引(ともびき)」です。 また、陰暦十二月の異名は「師走(しわす)」です。 英語では「December」 フランス語では「décembre = (デッサンブル)」です。 中国語では『十二月』と書いて『シーァーユエ』と発音します。 韓国語では「『십이월』と書いて『シビウォル]』と発音しま…
ステファヌ・マラルメ『賽の一振り』柏倉康夫・訳 月曜社2022年3月18日第1刷発行を再読。先月27日ブログで書いたことを試す。 https://k-bijutukan.hatenablog.com/entry/2022/11/27/220836《 白地の上に黒で書かれた文字により、作品に可視的な律動をあたえることで、時間から脱せしめ、永遠へと昇華させること、音楽の持つ時間性を、活字の大小と余白の活用で、波動として氷づけにすること、マラルメが『賽の一振り』で実行したのは、まさしくこうした作業であった。 》 『賽の一振り』 57頁 北一明『幻想玉耀変油滴虹彩花生』1977年を卓上に置く。光陽を受…
昨日、「場所論」の「3 光り輝く暗黒」を読んでいていて北一明の耀変茶碗を連想した。《 光り輝く宝石、光り輝く透明な珠の連なりを想像してみればよい。光り輝く宝石が連ねられたとき、現実には決して存在せず、ただ潜在的にしか存在していなかった光の線が、それらを貫いて走るだろう。そこにこそ、意味を可能にする「火」が発する。 》 119頁 著者が北一明の耀変茶碗を知っていたら、このあたりの論述はずいぶん違っていた気がする。 http://web.thn.jp/kbi/kitaron.htm https://www.hosei.ac.jp/tama/info/article-20221007100138/ …
安藤礼二『縄文論』作品社二○二二年一一月一○日第一刷発行、「場所論」後半を読んだ。あまりに深い洞察にただ瞠目。息を呑む。理解が・・・追いつかぬ。《 ラフカディオ・ハーン、西田幾多郎、鈴木大拙、エマヌエル・スウェーデンボルグ。これらの出会いは、まったくの偶然である。しかし、一つの必然に導かれての出会いであった。 》 100頁《 詩人は、もし、彼方の世界──この世界の外──から持ち帰ったものが形態(フォルム)をもっているのであれば、それに形態を、無形態(アンフォルム)のものであるならば、それに無形態をあたえなければならない。 》 104頁《 生命は、外的環境と内的環境の交点に、その身体を形成すると…
こんにちは。RIYOです。今回はこちらの作品です。 16歳にして第一級の詩をうみだし、数年のうちに他の文学者の一生にも比すべき文学的燃焼をなしとげて彗星のごとく消え去った詩人ランボオ。ヴェルレーヌが「非凡な心理的自伝」と評した散文詩『地獄の季節』は彼が文学にたたきつけた絶縁状であり、若き天才の圧縮された文学的生涯のすべてがここに結晶している。 1868年に悪政を轟かしていたスペイン女王イザベラに対抗すべく、政府は軍事クーデターを起こしてフランスへ亡命させるに至ります。空位となったスペイン王座を利用しようと、プロイセン首相のビスマルクは自国のポルトガル王家血縁者を推薦し、傀儡政権を成立させようと…
かく・かける(3) かく・かける(4) かく・かける(3) ポル・ポト(1928-1998)という人名を覚えていらっしゃるでしょうか? 1970年代後半にカンボジアで共産党政権を樹立し、大粛清(だいしゅくせい)=大量虐殺の首謀者となった政治家です。仏印という古い言葉があります。かつてフランス領であったインドシナ3国、つまり、現在のベトナム、カンボジア、ラオスを指します。フランスの植民地だったために、高齢者のなかにはフランス語を理解できる方々がいらっしゃいます。かつて、フランスへ留学した人たちも多数いたとのことです。その1人がポル・ポトでした。 このブログでよく出てくるフランスの詩人ステファヌ・…
あう(4) あう(5) あう(4) 今になって「信号」というものについて考えているのには、わけがあります。とりたてて言う必要がなかったので、これまでブログには書きませんでしたが、親の介護をしています。 うつとの共存、および言葉と哲学について考えていることをつづる――。そんなコンセプトで初めてブログを書き始めた昨年(※二〇〇八年です、古い話ですがお付き合いください)の十二月には、ブログのサブタイトルとして、そうした意味のフレーズを明記していました。つまり、「ああ、この人はうつのリハビリの一環としてブログをやっているのだな」と分かる程度のことを書いていました。 そのうちに、あるテーマを書くさいに必…
たとえる(7) たとえる(8) たとえる(9) たとえる(10) たとえる(7) 「たとえば……だとすれば」とか「たとえ……だとしても」とか言いますね。英語でいえば、それぞれ「 if ……」とか「 even if ……」となります。ということは、「たとえる・たとえ」は「もしも……なら」の「仮定」とつながっていると言えそうです。 よく考えれば、そうですね。「Aの代わりにBを用いる」は「Aであるが、Bとして考えてみる」とほぼ同じで、さらに「本当はAであるが、もしもBであれば」と言っても、それほど大きな違いはなさそうです。 *「たとえる・たとえ」と「もしも」は、つながっている。 らしい。いや、ほぼ確…
ジャンプ+の読み切り『打ち切られ漫画家、同人イベントへ行く。』を読んで作者の死について改めて思うところがあったので久しぶりにブログを書いている。 内容について言及するため、まずはこちらを読んでほしい。 shonenjumpplus.com 作者の死という考え方については、検索すればいくらでも見つかるのだが、例えば バルトはテクストは現在・過去の文化からの引用からなる多元的な「織物」であると表現し、作者の意図を重視する従来の作品論から読者・読書行為へと焦点を移した。 バルトがここで批判するのは、作品の意味を作者の人格や思想に帰着させようとする近代的な作者観である。 作者の死 - Wikipedi…
こんにちは。RIYOです。今回の作品はこちらです。 ボオドレール(1821-67)に至ってフランス詩は国境をこえ、やがて詩人は世界のあらゆる近代詩の源流に位置することとなる。代表作『悪の華』の初版(1857)は猥褻と冒瀆のかどで6篇の詩の削除を命じられ、再版は6篇を除き新たに35篇を加えて刊行された。訳者多年の研究に成った本書は、再版にその禁断詩篇を加えた全訳決定版である。 十一世紀に生まれた「聖アレクシス伝」「ロランの歌」などから始まるフランス詩史は、やがて厳格な規則性を持ちフランス韻文詩が形成されていきます。道徳的思想と芸術性を併せ持った美しい詩が数百年ものあいだ生み出され続け、堅固たる伝…
書こうとしても、とっかかりがないと書けないことは、みなさんが日々経験しているのではないでしょうか。言葉が出ないときには、どんなことをしていますか。 自動筆記とか自動書記とかオートマティスムといった横着な書き方があるそうですが、どうなんでしょう。すらすらと言葉が出てきて、人はそれを書き写すだけみたいな状態らしいのですが、経験したことも見たこともありません。 言葉を呼び寄せるルーティンとかおまじないがあり、それを利用している人もいるでしよう。コーヒーやお茶や煙草のようないわゆる嗜好品を使う人が多そうです。清涼飲料水やお菓子も嗜好品と見なす場合もあると聞きます。さすがに物を書くときにお酒に頼るとなる…