映画監督、脚本家。
Sergei Mikhailovich Eisenstein
レニングラードの土木専門学校、工兵少尉養成所に学ぶが演劇に興味を抱き、赤軍参加時代にも前線で演劇活動を行っていた。復員後は一時日本語を学び、これが後のモンタージュ論の展開に影響を与えたと言われている。プロレタリア文化協会などの劇場で美術や演出を手掛けたりしながら、1923年みずから演出した舞台に短編映画「グルーモフの日記」を挿入。モンタージュ論を反映させた1924年の「ストライキ」で長編映画デビューした。1925年に「戦艦ポチョムキン」を発表、この作品は後にブリュッセル万国博で『映画史上のベスト・ワン』に選ばれた。その後は圧政からの解放を求める人々と権力の対立を描く作品を発表しつづけた。映画以外の造詣も深く、エッセイ集などの著書もある。