Karl Derrik Rhodes (Tuffy Rhodes)
本名「カール・デリック・ローズ」。
プロ野球選手。
左投左打、ポジションは外野手。背番号は20番。
1968年8月21日生まれ。米国オハイオ州シンシナティ出身。
ウエスタンヒル高校から1986年、ドラフト3位でヒューストン・アストロズに入団。
1990年、メジャー昇格。
1991年、シカゴ・カブスに移籍し、1994年には大リーグ新記録となる開幕戦3連発を放った。
1995年、ボストン・レッドソックスに移籍。
1996年、来日し近鉄バファローズに入団。
1年目にパ・リーグタイ記録となるシーズンサヨナラ本塁打3本を放つなど日本野球に適応し、打率.293、27本塁打、97打点の好成績を残す。
フィル・クラークと共に外国人強打者としてチームを支え、以後コンスタントに好成績を収める。
1999年には打率.301、40本塁打、101打点の大活躍で本塁打王・打点王の2冠に輝いた。
2001年、37年ぶりに日本タイ記録となるシーズン55本塁打を記録し、12年ぶりのパ・リーグ優勝を果たした。
日本シリーズでも2本塁打を放ったものの、1勝4敗で敗れて日本一を逃した。
中村紀洋らと共にいてまえ打線の主砲として、活躍した。
2002年も46本塁打、117打点を叩き出し、打点王を獲得。2003年に51本塁打で3度目の本塁打王を獲得。
2004年、契約の問題から退団。読売ジャイアンツに移籍。
移籍後は3番打者として活躍し、同年、本塁打王を獲得。
バットをバックネット方向へ水平に寝かせた独特の構えから繰り出される鋭い打撃で、右中間を中心に広角に打つ。
2005年、外国人としてプロ野球史上2人目のFA権利を取得。外国人登録を外れる。
しかし、首脳陣との衝突や、チームの方針などから、退団。
2006年、地元のシンシナティ・レッズとマイナー契約を結ぶ。
しかし、メジャー昇格を果たせず同年3月、現役引退を表明。
2007年、オリックス・バファローズにテスト入団で復帰。同年、開幕戦で本塁打を打つ。
日本滞在が10年にもわたるため、試合後のインタビューでは日本語(というより関西弁?)も混じる。日本語での会話や日常範囲の漢字の読取りをすでにマスター済み。かつてはヘルメットに「狼主(ろうず、と読ませる)」と書かれたシールを貼っていた。(現在はこのようなシールをヘルメットに貼る事は、協約で禁止されている)