それは、ナポリの裏町、朝寝坊の道楽息子をフライパン片手に持ったお母さんが起こす。なかなか起きないのに、バイクで窓の下に乗り付けた不良仲間が呼ぶと、やおら起き出して、出かけていってしまう、という、哀切なるドラマの一節を、でたらめのイタリア語で演ってのけたのである。/居合わせたイタリア人たちは、椅子からずり落ちて笑い転げた。
*1:渡辺貞夫のマネージャーとホテルで飲んで、夜中の3時頃に帰ろうとした時、同じフロアの別の部屋でドンチャン騒ぎをしているのを見て乱入。CBC「すばらしき仲間」によると、山下洋輔、中村誠一、森山威男の3人が博多のホテルで騒いでいて、ゴミ箱をかぶった中村誠一がでたらめの狂言を演じて「太郎冠者」など言いながら踊っていたところ、タモリが入ってきて二人ででたらめの狂言を延々と続けた。その後、韓国語の歌舞伎などもやったらしい。
*2:なお、これらのタモリの「密室芸」を見て、新宿歌舞伎街の飲み屋でバカ騒ぎをするグループは、実際は2分されていた。1つは、スナック「ジャックの豆の木」の常連の客たちで、タモリの発見者である、山下洋輔トリオを初め、筒井康隆、奥成達、平岡正明、黒鉄ヒロシ、高信太郎、長谷邦夫、長谷川法世、南伸坊ら。もう1つは、のちに「面白グループ」と赤塚不二夫が命名した人々で、赤塚をはじめ、高平哲郎、滝大作、坂田明、内藤陳、小松政夫、団しん也、たこ八郎、三上寛、研ナオコ、柄本明、所ジョージ、アルフィー、東京ヴォードヴィルショーの面々、由利徹などで、新宿二丁目の「ひとみ寿司」からスナック「アイララ」をハシゴしていた。この2つのグループができたのは、赤塚不二夫が、「ジャックの豆の木」を、当時彼のブレインだった「長谷邦夫のシマだから」と、避けたことによる。また、前者が「文学+漫画+ジャズ」グループ、後者が「芸能人」グループであったともいえる。ちなみに、高平哲郎は、両方に出入りしていたそうである。
*3:最初のテレビ出演は、赤塚不二夫が当時出演していたNET「土曜ショー」。牧師ネタを披露したが、この番組を観た黒柳徹子が早速赤塚不二夫に電話をかけてきた。
*4:2005-2006は「ブリタモリ大百科事典」。2007年は全く出演していない。
*5:安野光雅「算私語録そのII」四二八