運命的な間とでも言うのでしょうか。意味する空白ですね。全ての意味の不在の中でより無用に長く生きるということに関して言えば、例えばある通りを歩いていました、見慣れ過ぎていて吐き気を催すぐらいのありふれた光景でした、しかしその感覚の飽和が仮想現実として自分の中にフィードバックしてきました。 それは音と映像が分離するような、自分が自分でいなくなるような、よく覚えておかないといけませんね。また同じようなことをエピソードとして語る可能性がある。それは確固たるリスクです。自分を憂鬱にさせたのはその時の自分の身体と精神のコンディションは万全だったということです。生活でのトラブルもなく金銭に困ることもなくスト…