Titus Flavius Vespasianus。AC39年12月30日生〜AC81年9月13日没
ローマ皇帝。フラウィウス朝の二代目皇帝。「人類の寵児」
紀元68年にネロ帝が死んだ時点では、父ウェスパシアヌス(ヴェスパシアヌス)とともに、ユダヤの反乱に対抗するためのエルサレム攻囲軍にいた。ウェスパシアヌスが皇帝位を争うレースに参加するためにイタリアへと去った後はティトゥスが残された軍の指揮を執り、エルサレムを陥落させて反乱をほぼ鎮圧することに成功する*1。
その後、父ウェスパシアヌス帝の補佐として経歴を積み、父の死後に帝位を受け継いだ。
帝位につく前の世論の評価は芳しくなかったが、就いてからは模範的な善政を行い、ポンペイの災害への対応などで業績をあげた。
しかし帝位に就いてわずか二年で死去。その善政から皆に惜しまれたとされる。
わずか二年の在位であったために「治世が短ければ誰でも良い皇帝でいられるさ」*2とも言われた。
最終タイトルは Imperator Titus Caesar Vespasianus Augustus, Pontifex Maximus, Tribuniciae Potestatis XI, Imperator XVII, Consul VIII, Pater Patriae *3
ウェスパシアヌス→ティトゥス→ドミティアヌス