タタールのくびきが叩き込まれるより以前。キエフこそがロシア民族――スラブ人らの本拠であった。 九、十、十一の約三世紀の期間に亙りこの街は、奴隷の国外輸出によって経済上の繁栄を得た。 人を攫って売り飛ばすのが、彼らの主要産業(・・)だった。 (Wikipediaより、キエフ河川港) ヴォルガ川やドニエプル川、黒海等を経由して、北はスカンディナヴィア半島から南は中東、アナトリアに至るまで、実に広範な販路を持っていたらしい。 驚くには及ばない。月の砂漠を遥々とゆくキャラバンたちにしてみても、十九世紀の終わりごろまで扱う品に「奴隷」を含めていたではないか。人の命に値をつける。同じ人間にあらずして、器物…