Diego Pablo Simeone
アルゼンチン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
1970年4月28日生まれ。ブエノスアイレス出身。身長180cm、体重77kg。
現役時代のポジションはミッドフィルダー(主にボランチ)。
1994年 FIFAワールドカップ・アメリカ大会出場 ベスト16
1998年 FIFAワールドカップ・フランス大会出場 ベスト8
2002年 FIFAワールドカップ・日韓大会出場
代表キャップ106試合出場11得点
1987-1988シーズン、アルゼンチンリーグのベレス・サルスフィエルドでトップデビュー。1990年にイタリア・セリエAのピサ会長ロメオ・アンコネターニは疲れを知らず狂ったように中盤を走り回るシメオネを見てチームに誘い、1990-91シーズンにピサへ移籍。31試合で4得点を上げたが、チームはセリエBに転落。
その後スペインへ渡り、セビージャFCに2年、アトレティコ・マドリードで3年プレイ。1994年FIFAワールドカップ・アメリカ大会ではディエゴ・マラドーナとともにアルゼンチン代表として出場。1996年には、アトレティコのコパ・デル・レイ優勝とリーグ優勝に大きく貢献した。
1997-98シーズンから再びイタリアへ戻り、インテル・ミラノに移籍。SSラツィオを経て、2003-2004シーズンから古巣アトレティコ・マドリードに復帰。2005年初頭、キャリアの最後を故国で飾るべくアルゼンチンに帰国、ラシン・クラブにレンタル移籍する。2006年に現役引退を表明。指導者に転身した。
愛称は元々は「チョロ」。その他、ひとでなし、ろくでなし、暴れん坊将軍などと呼ばれて、とっても愛されている。1998年のワールドカップでデビッド・ベッカムを退場させたり、とにかくシメオネが出ている試合はシメオネ見てるだけで楽しい。いろんなところでいろんな汚いことを思いつく限り90分間延々やってる。ピッチを離れると人格者で選手間の人望あつく、家庭では愛妻家らしい。
2011年12月、グレゴリオ・マンサーノ監督の後任として古巣アトレティコ・マドリードの監督に就任。2011-12シーズン、UEFAヨーロッパリーグ優勝に導いた。翌シーズン開幕前のUEFAスーパーカップも制した。