プロ野球選手(投手)、指導者。本名、ローレンス・フランクリン・デニー(米国)・友利結(日本)。背番号は30→36→41→46→36番。
1967年9月21日生まれ。沖縄県浦添市出身。B型。右投右打。
フランス系とネイティヴ・アメリカンの混血である父*1と、宮古島出身の母の間に生まれたアメラジアン。
興南高校から1986年度ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団した。大洋時代はずっと期待されていながら、故障などで二軍暮らしが続いた。
1995年、登録名を本名から「デニー友利」に変更。カタカナの名+姓(漢字)の形の登録名は「カズ山本」に続き2例目だった。改名効果もあり、この年プロ初勝利を挙げた。
1996年も17試合に登板、1勝を挙げるが、1997年には長見賢司選手とのトレードで西武ライオンズに移籍。この年、34試合に登板して4勝を挙げ新天地で中継ぎエースの座を手に入れた。
1998年からは登録名を「デニー友利」から「デニー」に変更。1998年には7勝4敗8S、1999年には2勝4敗12Sの活躍。まさに改名大成功である。
2001年まで中継ぎ〜抑え投手として活躍するが、2002年シーズンは右肩痛のため出番が激減し、伊原春樹監督との対立もあり2002年オフに前田和之投手とのトレードで古巣の横浜ベイスターズに復帰した。
2003年シーズンは、山下大輔監督の迷采配『ピッチャーデニー!』により、野球ファン以外にも(ネタキャラとして)知られるようになる。
2004年オフに自ら希望して自由契約となりメジャーリーグ行きを目指していたが、この度米大リーグの名門ボストン・レッドソックスとマイナー契約を交わした。2005年、記者会見での「Never too late(決して遅くはない)」という名台詞を残し、37歳でのメジャーリーグ挑戦に高い注目が集まったが、メジャー昇格は果たせなかった。
メジャーを断念し、オフに中日ドラゴンズと契約するも、レッドソックス側が契約上の不備を訴えトラブルになったが、2006年、登録名「デニー・友利」として中日入団決定。
しかしキャンプイン直後になぜか登録名を「デニー友利」に戻す。2007年、現役引退。
2011年オフ、横浜DeNAベイスターズの投手コーチに就任。コーチとしての登録名は本名である「友利結」。
*1:軍人ではなかったとのこと