アート・文学・映画・ダンスなどをオルタナティヴな視点から取り上げるテーママガジン。創刊号の特集は『ストルガツキー兄弟』で、当初はSFが中心だったが、現在はゴシック色を強めている。書籍コードで発行されるムック本で、発行は現在年4回(季刊/1・4・7・10月末発行)。編集・発行はアトリエサード、発売は書苑新社。
クリス・フランツ(Dr.)、ティナ・ウェイマス(Bass)、そしてデヴィッド・バーン(Vo,Gui)の3人は、1975年にニューヨークで活動を開始。当時ニューヨーク・パンク最大の発信地だったクラブ、CBGB'sを中心に演奏活動を行い、1976年にサイアー・レコードと契約した。
1977年ジェリー・ハリソンがキーボード奏者として加わり、4人のメンバーがそろい、デビュー・アルバム「サイコ・キラー'77 Talking Heads:77」を発表。シンプルな編成でありながら、独自の知的センスが光り一躍注目を集めるようになった。なかでも、元ロキシー・ミュージックの奇才ブライアン・イーノは、彼らの才能に惚れ込み、自らプロデューサーをかって出た。
こうして、彼らのセカンド・アルバム「モア・ソングス More Songs About Building and Food」(1978年)が生まれ、このアルバムの中の彼らにしては珍しいカバー曲"Take Me To The River"(オリジナルは、アル・グリーン)が全米26位にまで上昇、いよいよ世界的にも注目を集めるようになっていった。
<アフリカン・ファンクの追求>
1979年発表のアルバム"Fear Of Music"に収められていた"I Zimbra"において、彼らは初めてアフリカン・ファンクのリズムを導入した。そして、同じ年デヴィッド・バーンは、ブライアン・イーノとの共同製作でアルバムを録音、二人はブラック・アフリカのリズムだけでなくイスラム圏のサウンドもターゲットを広げ、時代の遙か先を行くアルバム「ブッシュ・オブ・ゴースト」を作り上げた。しかし、このアルバムは、サンプリングされた一部素材の権利問題で一時お蔵入りとなり、その間にヘッズ本体の新しいアルバム「リメイン・イン・ライト Remain In Light」(1980年)が世に出ることになった。
このアルバムこそ、アフリカン・ファンクとロックの融合という、それまでになかった新しい音楽の扉を開いた歴史的アルバムであり、トーキング・ヘッズにとっても音楽的に頂点を究めた最も重要な作品となった。