ドルトン・トランボ

ドルトン・トランボ

(映画)
どるとんとらんぼ

1905〜1976年。(「ダルトン・トランボ」とも表記。)
「ハリウッド・テン」で「赤狩り」された脚本家。
しかし破格に才能があったため、ゴーストライターとしてとか、別な作家名義でたくさんの優秀な作品を作った。
【主要作品と略歴】
1939年、反戦小説の『ジョニーは戦場へ行った』を発表、
.      「発禁処分」を受ける。
1947年、3月に「トルーマン・ドクトリン」発表され、
.     謂わゆる「赤狩り」が盛んに成り始め、
. 同年、10月に非米活動委員会の第一回聴聞会があり、
.     これに返答拒否して「議会侮辱罪」に問われ、
1950年、最高裁判所で罪は確定、トランボたち10名は投獄された
.     (禁固一年)(→「ハリウッド・テン」と呼ばれる)
1953年、『ローマの休日』(「イアン・マクラレン・ハンター」名義→但し実在の人物でゴーストライティング)、
. 同年、同上の作品でアカデミー脚本賞、
1957年、『黒い牡牛』を「ロバート・リッチ」名義でアカデミー脚本賞、
.      名も素性も隠して、土木作業員として現場で肉体労働をしていた。
.      一本7万5千ドルの地位から、週給50ドルの肉体労働へ。
.      チャップリンらと共に欧州では受け容れ先があったのにそれを拒否した。
.      「作家名は追放できても。俺の才能までは追放できなかった!」と妻に豪語。
.      一方、アカデミー協会は、この年をもって原作賞を廃止。
1960年、『栄光への脱出』から実名で復帰。
1960年、『スパルタカス』
1962年、『脱獄』
1965年、『いそしぎ』
1966年、『ハワイ』
1968年、『フィクサー』
1971年、『ジョニーは戦場へ行った』(32年前の自作を自ら監督)
1973年、『ダラスの熱い日』
1973年、『パピヨン』(スティーブ・マックィーン、ダスティン・ホフマン
.       と共にこのフランクリン・J・シャフナー作品に俳優として出演。
.                           フランスの刑務所長役で。)
1976年、71歳にて死去。
1989年、『オールウェイズ』

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