Nélson Baptista Júnior "Nelsinho Baptista"
ブラジルの元サッカー選手、サッカー指導者。通称はネルシーニョ、ネルシーニョ・バティスタとも。
1950年7月22日生まれ。サンパウロ州カンピーナス出身。
現役時代のポジションはディフェンダー(右サイドバック)。サンパウロFCでは262試合に出場、ムリシ・ラマーリョらと同僚だった。
現役引退後は指導者に転身し、ポンチ・プレッタ、SEパルメイラス、コリンチャンス・パウリスタなど強豪クラブの監督を歴任。
1994年7月、ヴェルディ川崎のコーチ(監督は松木安太郎)に就任するため来日。1995年よりヴェルディ川崎の監督を務め、Jリーグ・2ndステージ制覇を果たした。1995年末、サッカー日本代表監督候補に挙がりほぼ内定していたのが、長沼健JFA会長(当時)の鶴の一声で取り消され、「日本サッカー協会には腐ったミカンがいる」と痛烈に批判した。その後、ヴェルディの監督を辞してブラジルに帰国した。
2003年8月、名古屋グランパスエイトの監督に就任するため再来日。のちにサッカー日本代表の大黒柱となる本田圭佑はネルシーニョを慕って名古屋に入団した。しかし、チームは中位を脱することはできず、成績不振により2005年9月に解任された。
2009年7月、降格圏に低迷していた柏レイソルの監督に就任。2009年シーズンは降格圏を脱することはできずそのままJ2に降格したが、2010年はJ2で優勝して1年でJ1に復帰した。2011年シーズンは、開幕から好調で念願のJリーグ初優勝を果たした。J1昇格1年目での優勝は史上初。2011年FIFAクラブワールドカップに開催国枠で出場し、かつての同僚であるムリシ・ラマーリョ率いるサントスFCとも対戦した。
2013年には、一度は辞意を表明したものの、その後再びチームの指揮を執っている。