知り合い同士の知識や文脈が極めて重視される文化。 雰囲気を察し、空気を読む能力が求められる。
生活習慣や文化的背景、経験に共通部分が多いとされる。
しかし、排他的になったり、敷居が高いので文化の規模は拡大しない傾向が多い。
など。
家庭の健全な運営のためには夫婦間のコミュニケーションがうまく行っていることが欠かせません。 でもコミュニケーションって一口に言っても難しいですよね。言語的なやりとりもあれば、仕草といった非言語でのやり取りもあります。 ですがコミュニケーションで最も意識すべき点は、相手がどう受け取るか、です。 言った側がいくら後から、そういうつもりではなかったと伝えても、言われた側にとっては関係ありません。 すれ違いを避けるためにも、相手がどのような受け取り方をするのかという癖みたいなものを把握しておくと、円滑にコミュニケーションをしやすくなるんじゃないかな、と思います。 === 私と妻では言葉の意味の受け取り…
生まれ育ち社会人5年目まで過ごした大阪を離れ10年以上経った今でも、 毎年、夏休みの時期になると日本に帰りたいな〜と思います。 ここ最近は特に、コロナの影響で去年も今年も帰れていないせいか、いつも以上に帰りたいという欲求が強い! しかしですよ! 帰りたい、という欲望は決して「完全帰国」ではない不思議。 あくまでも「海外在住日本人の一時帰国」として帰りたい、という欲求なのです。 家族や友達に会いたい、100均で爆買いしたい、エステに行きたい…っていう欲望も、 いいとこだけみて、しんどいことにはフタをする方式、という 「旅行者として一時的に日本に滞在したい」という欲求。 これはなぜかと考えてみたら…
今週のお題「鍋」 お相撲さんとは 「お相撲さん」という言葉がある。日本人の多くが当たり前のように「お相撲さん=相撲取り」だと理解できるが、よくよく考えたらおかしな話だ。なぜなら「相撲」は競技の名称であるからだ。私は相撲以外に「競技名+さん」で選手を表す競技を知らない。野球選手を「野球さん」とは言わないし、サッカー選手を「サッカーさん」とも言わない。ボクシングさんとかレスリングさんも聞いたことがない。我々が慣れ親しんだ「お相撲さん」という言葉は非常に特殊な表現なのだ。 さて、「鍋」の話である 「鍋」と「お相撲さん」。一見なんの関連も無さそうだが、実は共通点がある。それは「ハイコンテクスト文化」と…
2020年10月26日 『IT ビジネスの原理』(尾原 和啓,NHK 出版,2014年1月31日)を読了。 売ろうとする商品 その商品の価値が最も低い場所(仕入れ地) 商品の価値が最も高い場所(消費地) の三つを結びつけるマッチングが,ビジネスのキーになるのです。(位置 No. 210) IT は,上記の 3 つを簡単にマッチングさせることができる。 世界中に散在しているユーザを一か所に集めて,そのユーザを金を出しても欲しいと思っている企業や人と結びつける,マッチングするのが,インターネットのビジネスなのです。(位置 No. 322) 企業や人をどれだけ結びつけることができるかが,お金を生み出…
読解用のテキストで 「その日はちょっと・・・」と言われたら、それは行かないという意味です つまりは断られています、という内容のものがあります。 問題はその先。 断られたその先の説明はテキストにはありませんでした。 「で、他の日を提案したんですよ。そしたらまた電話するって」 「電話は?来ましたか?」 「いや、それが来ないんです。どれくらい待ったらいいですか」 あ~やっぱり。 「初めの言葉ですでに断っていたんですよ」 「行く気があるなら、初めのときに『〇日ならいいけど』と言いますよ」 そこで学生は悲しい顔になります。 断っていたのだと知った寂しさと、日本人との会話は難しいという思いとで。 昨日、あ…
『ジャバウォックの詩みたい』=ナンセンス海外の人とコミュニケーションを取ったことがある人は、言葉が話せてもスムーズにコミュニケーションができないという経験をしたことがあると思います。 『お辞儀をする』などの目に見える文化は意識しやすいですが、目に見えない文化には自分から気づくことは難しいです。そしてその見えない文化はコミュニケーションを取るために意外に重要だったりします。 文化は聞き手の役割で分けられている 文化人類学者のHallはコミュニケーションのタイプを高文脈文化・低文脈文化に分けています。 高文脈文化(ハイコンテクスト文化):言葉で発された以上の情報を相手が察することが前提の、『言わな…
日本語は高コンテクストな言語だそう。高コンテクストというのはつまり、文脈に依っている言語ということ。だから、なるべく必要最低限な情報しか言葉にしない。英語やフランス語のように、いちいち「私は」と毎回主語を言わない。「すみません」という言葉も、文脈によって謝罪だったり、呼びかけだったり、あるいは感謝の意を伝える言葉にもなりうる。 こういったところが日本語の曖昧さと言われるのかもしれないけれど、私はこの日本語の特質が好きだ。俳句も、たった五七五だけで作品の世界を創っている。俳句を英訳や仏訳すると言葉が多くなり、原文の無駄のないすっきりした感じがまったく出なくなってしまう。 西洋の言語、とりわけゲル…