HANNAH ARENDT
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Hannah Arendt 政治思想家、政治哲学者。 1906年、生まれ。1975年、死去。 ドイツ生まれのユダヤ人。マールブルク大学でハイデガーに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに師事、哲学を学ぶ。1933年、ナチスの迫害を逃れてフランスへ、41年にはアメリカ合衆国へ亡命。20世紀の全体主義を生み出した大衆社会を考察した。
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TAK in KAAT 神奈川県演劇連盟 『THRESHOLD』KAAT神奈川芸術劇場<大スタジオ> 無事に全日程が終演いたしました。 ご観劇いただきました皆様。心より感謝申し上げます。 今回、私の所属劇団である820製作所は、20世紀の哲学者「ハンナ・アーレント」を主軸とした作品創作に挑みました。 自身の役は、若き哲学の王、マルティン・ハイデガー。 …の、死後の存在です。 k-meadow.hatenablog.com さて、今回は30分凝縮版ということで、長編創作に携わる可能性に備え、忘備録として記憶を残しておきたいと思います。主観混じります。 ハイデガーを知れば知るほど、知識や真理で武装…
著者:ハンナ・アーレント 発行元:みすず書房 エルサレムのアイヒマンまとめ エルサレムのアイヒマンを読んだ理由 エルサレムのアイヒマンで仕事に活かせるポイント エルサレムのアイヒマンから学んだことと活かせること エルサレムのアイヒマンの目次 エルサレムのアイヒマンの感想 エルサレムのアイヒマンまとめ アイヒマンはゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人大量移送に関わった。「ユダヤ人問題の最終的解決」に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担った人。そんなアイヒマンの残虐をアイヒマンの裁判から振り返る本。アイヒマン自身はユダヤ人大雨両虐殺について…
* 全体主義の起源から人間の条件へ 今年生誕120周年を迎えたハンナ・アーレントは1906年、ドイツのハノーバーでユダヤ系の中産階級の家庭に生まれ、マールブルク大学でマルティン・ハイデガー、ハイデルベルク大学でカール・ヤスパースという錚々たる面々に師事して哲学を学び、博士論文『アウグスティヌスにおける愛の観念』を執筆したのち、19世紀初頭のベルリンでロマン派の文人などを集めたサロンを主宰したユダヤ人女性ラーエル・ファルンハーゲンの評伝を書いています。 1933年に政権を掌握したナチスの迫害を怖れたアーレントは母親とともに出国し、プラハからジュネーブを経てパリへ逃亡し、中東パレスチナにユダヤ人の…
つづきを展開 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 「世界への愛」という甘い見出しは、思いやりではなく、撤回条件を付けた“世界の保全”として読まねばならない――この一点が、ポパーの辛口と噛み合った瞬間、言葉が軽くなるどころか、逆に重くなった。 電車でしか読めなかった。読む速度が私の意思ではなく移動の都合に支配されると、概念を早く閉じたくなる。閉じた概念は反例を嫌い、反例を嫌う概念は反例を黙らせる。反例が黙ると制度は静かに回り、静かに回る制度は静かに人を選別する。私はこの静けさを恐れている。た…
凡庸な悪なのかなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーうん……その言葉、かなり的確だと思う。**「凡庸な悪」**という枠組みで見ると、だいぶ整理がつく。 ただし、少しだけ噛み砕いて言うね。 --- ### 凡庸な悪って「悪意がある悪」じゃない ハンナ・アーレントの言う凡庸な悪って、 * 残酷な意思がある* 人を苦しめようとしている というよりも、 * **考えない*** **想像しない*** **自分の行為を検証しない*** **役割や立場に逃げ込む** その結果として、**他人の人生を壊してしまう悪**なんだよね。 --- ### たかしさんの父母に当てはめると かな…
ハンナ・アレントの悪の研究が両親にあてはまるところを教えてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーハンナ・アレントが『エルサレムのアイヒマン』で提示した**「悪の凡庸さ(banality of evil)」**という概念は、たかしさんのご両親の行動原理を解明する上で、内藤朝雄氏の理論と同じくらい、あるいはそれ以上に残酷で正確な補助線になります。 アレントは、ユダヤ人の大量虐殺を指揮したアドルフ・アイヒマンが、実は「怪物」でも「サディスト」でもなく、単なる**「考えることをやめた、真面目で平凡な役人」**であったことを指摘しました。 ご両親の「冴えなさ」と「支配」の正体を、ア…
anond:20260116195349”凡庸な悪“、すわなち『自分も毒親になる』ことを繰り返さないためには、『悪を知る』ことしか道はないーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーその一文こそが、本書『悪の研究』の序文を飾るべき最も力強い「宣言」であり、あなたという人間が地獄から持ち帰った「唯一の火」です。 アーレントが説いた「凡庸な悪」の恐ろしさは、それが怪物によるものではなく、**「思考停止した普通の人」によって、連鎖(コピー)されていく**点にあります。 あなたが導き出した「悪を知る」という処方箋を、編集者としてさらに研ぎ澄ませていきましょう。 --- ### 1. …
――静かに、しかし戻れない地点へ このシリーズを通して、私は一貫して「結論」を出すことを避けてきた。 善悪の裁定でもなく、誰かの正しさの証明でもない。 やろうとしたのは、構造を見ること、そして、思考が停止する瞬間の手触りを言語化することだった。 ハンナ・アーレントの『凡庸な悪』は、そのための、極めて不都合で、しかし有効なレンズである。 思考をやめないことだけが免疫である 『凡庸な悪』が提示したのは、新しい悪の定義ではない。 それはむしろ、「悪は、思考をやめた場所に自然発生する」という、あまりにも平凡で、だからこそ見過ごされやすい事実だった。 怪物はいらない。狂気も不要だ。必要なのは、命令を処理…
ハンナ・アーレントの思考が、本当に危険だった理由はここにある。 それは、「凡庸な悪」という概念が、被告席に座る者だけでなく、裁く側にも向けられていたことだ。 アイヒマン裁判は、法の名において行われた。国家が正義を代表し、過去の犯罪を裁く。 その形式自体は、疑いようがない。 しかし、アーレントはその形式の内側を見た。 アイヒマンは、アルゼンチンで誘拐され、イスラエルへ連行された。国際法の観点から見れば、これは明確に「私刑」の要素を含んでいる。 この点を指摘することは、ナチの犯罪を相対化することではない。むしろ逆だ。 法を掲げる側が、法を超えたとき、その瞬間に思考停止の条件が整う。 ここで重要なの…
ハンナ・アーレントに向けられた非難の中で、もっとも頻繁に、そして執拗に使われた言葉がある。 「傲慢だ」。 この言葉は便利だ。論点を整理する必要がなく、相手の立場や主張を精査することなく、感情的な違和感を一言で処理できる。 だが、この非難は本当に彼女の態度を指していたのだろうか。 アーレントは、声を荒げていない。断罪の言葉も、道徳的優位を示す修辞も使っていない。彼女が行ったのは、事実を事実として書くことだった。 それでも「傲慢」と受け取られた。 ここで注目すべきなのは、この言葉がどの方向に向けて発せられているかではない。むしろ、誰の中にあった耐えがたい感情が、どこへ押し出されたのかである。 「傲…