公民館での『第5回せと歴史探訪講座』で、講師の武藤氏は、瀬戸にはバカ道路以外にも数か所の地域で建物を壊したとのこと。空襲による延焼を防ぐためだ。 さらに武藤氏は、西本町にある栄国寺の近くにお母さんが当時住んでいた(のだろう)長屋が、その区域に指定され2週間で立ち退きになってしまった。戦時中であり、命令は絶対だった。昭和20年5月のことだ。3月19日には名古屋大空襲があり4万棟の家や工場が灰になった。 写真の大鳥居をくぐると深川神社に続く参道だ。水色の屋根は、有名になった瀬戸の地下街だ。裏側は宮前公園駐車場になっている。この区域も建物疎開でできた空間だ。昭和25年に市議会のリコール運動が瀬戸で行…