Bashshār al-Asad バッシャール・アル=アサドはシリアの政治家。現・大統領、バアス党地域指導部書記長。 1965年9月11日生まれ、父はハーフィズ・アル=アサド前大統領。ダマスカス出身、ダマスカス大学医学部卒業。 眼科医から軍に入り大佐などを歴任。 2000年6月10日に父ハーフィズが死去すると、陸軍大将に昇進、軍最高司令官に任命され、6月18日にはバアス党書記長に就任。 2000年に7月10日に国民投票を実施、7月17日に大統領に就任した。
独裁者を憐れむ言葉 アサド大統領就任の頃の記憶 イラク戦争以降の困難 強制収容所関係の報道とシリアのこれから 独裁者を憐れむ言葉 内田百閒の『東京焼盡』という戦時下日記のようなものに、次のような一説があります。 ヒトレルに誤まられて独逸国民は誠に気の毒だと思ふ。しかしヒトレルも悲壮なり。 内田百閒. 東京焼盡 (中公文庫) (p.134). 中央公論新社. Kindle 版. 1945年4月末頃の、ナチスドイツの敗北が近いことを聞いての感慨ですが、今回のアサド政権崩壊を聞いて、この一説が頭をよぎりました。 当時同盟国であったドイツとその独裁者への憐憫(と、明日は我が身という不安)が、ドイツ語教…
このブログで何度も書いてきたけど、少なくとも中年以降の男性の顔はその人の人生、特にどう生きてきたか、今後どう生きようとしているのかとの心情が表れると世間では言われているし、小生もそう思っています。少なくとも、だらだらと生きてきた小生にはまったく厳しい面構えはないし、信念も見られないと他人からは思われるでしょうね。でも、清く貧しく普通に(美しくではなく)生きよう、金、贅沢には恬淡としようと思っているので、そういう感じは見受けられると思います。 日暮の話はともかく、そういう視点でシリアを解放した過激派組織「シャーム解放機構(HTS)」のジャウラニ指導者を人相見してみました。正直言ってこの人の第一印…
いやはや、日本の政界は相変わらず、「政治とカネ」の問題とやらで紛糾していますが、その間、国際情勢はドラスチックに動いています。大変化と言えば、中東シリア。50年以上政権を保持してきたアサド家が崩壊したことで、驚きました。父親のハーフィズ・アサドの後を継いで2000年に政権を掌握した息子のバッシャール・アサドが爾来ずっと独裁体制を敷いてきた。2010年から12年にかけて北アフリカ、中東に吹き荒れた民主化のうねり「アラブの春」でもアサド政権は倒れなかったのです。何故、今ごろになって倒れるのか。 アラブの春の時にアサド政権に歯向かったのは「イスラム国(IS)」でした。この組織は非常に狂暴ということで…
こんばんは。現役救急医です。以前このブログで触れたウクライナ-ロシア間の緊張・紛争状態ですが、またもロシア側が挑戦的な行動に出ました。 voiceofer.hatenablog.com 2014年初頭のウクライナでの政権交代やロシアによるクリミア併合に『便乗』(?)して決起し、独立を宣言していたウクライナ東部の『ドネツク人民共和国』, 『ルガンスク人民共和国』について、ロシア政府は独立を正式承認するという大統領令を出したのです。 www.afpbb.com 角が立ちそうな言い回しですが、アジア太平洋戦争(『大東亜戦争』と呼ばれることもあり)の時期に関東軍・日本国が樹立した傀儡国家『満州国』のデ…