聖火リレーのスタート地点を福島にしたのは「復興五輪」をアピールするためだとされてきた。しかし、それが見せかけだけの欺瞞であることは周知のことだ。もはや「見せかけ」にさえなっていないかもしれない。直接見たわけではないが、10年前の災害直後そのままの街の通り、農村風景…。映像をみるたびに、この10年は何だったのかと思う。まして、10年前に避難した人々の多くはなお生活再建に難儀しているのだ。 「復興」がウソであっても、復興を願う気持ちは多くの人に共有されている。肝心の復興を疎かにして、最初からその願いに便乗(悪乗り)して「やってる感(ふり)」だけは示す、そういう発想で物事が延々と「処理」し続けられて…