神輿を担ぐ側か、レコードを掘る側か(イメージ) ポップ音楽の本質は、コミックソングではないか。 そう思うことがある。エノケンが浅草でジャズをバカバカしい日本語に乗せてみせた瞬間も、志村けんがフィラデルフィア・ソウルのベースラインをヒゲダンスのBGMにねじ込んだ瞬間も、大瀧詠一が50年代のアメリカンポップスを丸ごと「ロング・バケイション」という名の夏の贈り物に変換してみせた瞬間も、すべて本質において同じ行為だ。 「誰かが作った最高の型を、最高の技術で拝借して、別の何かにバグらせてしまう」。 それは「手抜き」でも「ズル」でもなく、ポップ音楽が発明されて以来ずっと繰り返されてきた、最も正直な創造行為…