西暦800年に生まれ、1806年に息の根を止められた「神聖ローマ帝国」。それは半世紀の時を経て再び1870年に蘇ったものの、議会導入を求める急進主義者たちの台頭により、早くも危機に瀕してしまっていた。 帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクと閣僚たちは、彼らの要求を呑み込み、議会と選挙制度を導入。 しかし成立した極左党政権は、間髪入れずに皇帝の退位と帝政の廃止を要求。 これに反発した保守派勢力が武器庫を襲撃し、帝都に迫る中、共和派政府は皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の処刑を断行。 反乱の理由を失った保守派勢力の蜂起はこれで立ち消えになり、国民同士の激しい内乱こそ避けられたものの、大きな犠牲を伴う形で…