先日購入したアコースティックギターは中古だ。どこのどなたが使っていたのかは聞いていない。 茶の湯の道具は価値の高い物ほど、由緒が明確なことが多い。何代のお家元の箱書きがあり、誰それの手にわたり、その後誰それにより、というふうな感じで物語られる。どこのどなたの手にあったか、ということがはっきりしているのだ。茶の湯においては、この物語こそが重要で、単に名のある人が作りました、とか、お茶が飲みやすいです、ということだけでは価値のあるものとはならない。このあたりが単なるお金持ちを排除するための壁となっているところに感心する。お金だけを持っていても価値が分からないようになっているし、お金しか持っていない…