このビリージョエルの「ピアノマン」という曲は、彼が、失意の中で、ロスのピアノバーでピアノの弾き語りをしている時の経験を元にしてできた曲である。
この曲はニューヨークの夜景が似合う曲などと、ニューヨークの哀愁を歌ったものという風に思っている人が多いと思うが、実は違うのである。
このロスのピアノバー時代のことを彼はあまり語ろうとしない。このピアノバーも今はなく、彼のファンクラブ情報等を元に、その時の概要をまとめてみた。
また、その時の背景を元にした新「日本語訳」もつけてあるので参照されたい。
http://www.sonymusic.com/artists/BillyJoel/discography/disco_01.html
Today, I introduce one of my favorite songs,"Piano man" by Billy Joel.
In 1971, Billy Joel recorded his first "solo" album, "Cold Spring Harbor",
for Family Records. Billy was embarrassed by the record, which had
been mastered at the wrong speed. It was produced by Artie Ripp.
All songs were composed by Billy Joel. He was disappoinred by this accident,
so he decided to join touring for six months to support the album,
opening for acts like J. Geils Band and Badfinger.
However, discouraged by this tour,Billy moved to Los Angels, California.
There he performed as Bill Martin at Corky's on Van Nuys Blvd and at the
Executive Lounge piano bar on Wilshire Blvd.
The experience is related in his first Columbia single: Piano Man in 1973.
(Information from this article is from liner notes by Glenn A. Baker and articles
and books by Jeff Tamarkin and Peter Gabaccini.)
アーティ・リップによって制作された1971年のアルバム『コールド・スプリング・ハーバー』でビリー・ジョエルはソロ・アーティストとしてレコードデビューする。
しかしながらこのアルバムは録音テープの再生速度を上げられてしまい全く別人のような歌声で発表された。不本意な内容の上ヒットにも至らず、
失望のあまり自宅にひきこもりがちになってしまう。再起を試みたのか、彼は、J・ガイルズ(当初はJ・ガイルズ・ブルース・バンドを名乗り、
かなり本格的なブルースを演奏していた。「アメリカのストーンズ」と評されていた)やバッドフィンガーのレコーディングツアーに参加していたが、
やはり彼の心を満たすまでには至らなかった。
気分転換を図るためか、後に妻(1983年に離婚)となるマネージャーのエリザベス・ウェーバーと共にロサンゼルスに移住している。
約6ヶ月間滞在した。ビル・マーティンという名前で「エグゼクティブラウンジ」と「コーキーズ」を中心にライヴ活動を行った彼は、コロンビア・レコードから
1973年にアルバム『ピアノ・マン』で再デビューを果たす。表題曲が全米トップ30のスマッシュ・ヒットとなったことによってこのアルバムはセールスを伸ばし、
彼にとって初となるゴールド・ディスク認定作品となった。
Piano man (1973) by Billy Joel
It's nine o'clock on a Saturday
The regular crowd shuffles in
There's an old man sitting next to me
Makin' love to his tonic and gin
He says, "Son, can you play me a memory?
I'm not really sure how it goes
But it's sad and it's sweet and I knew it complete
When I wore a younger man's clothes"
La la la, de de da
La la, de de da da da
Chorus:
Sing us a song, you're the piano man
Sing us a song tonight
Well, we're all in the mood for a melody
And you've got us feelin' alright
土曜日の9時
俺の弾き語りを聞きに常連客がやってくる
老人がピアノの隣に座り
思い出に浸るようにジン・トニックに酔いしれている
ねえ 追憶ってヤツをひいてくれないか?
それがどんな風なのかもう歳ではっきり覚えていないが
梅干を噛んだ時はすっぱく感じてもだんだん甘く感じるようなものを
おしゃれな若者の服を着ていた頃は はっきり覚えていたんだがな<コーラス>
ピアノマン 一曲僕たちに歌ってくれ
今夜 あの曲を歌って
そう今夜は皆んな メロディーが欲しい気分なんだ
いい気分にしてくれよ
Now John at the bar is a friend of mine
He gets me my drinks for free
And he's quick with a joke or to light up your smoke
But there's someplace that he'd rather be
He says, "Bill, I believe this is killing me."
As the smile ran away from his face
"Well I'm sure that I could be a movie star
If I could get out of this place"
Oh, la la la, de de da
La la, de de da da da
バーテンダーのジョンは俺の友達
いつもタダで酒を飲ませてくれる
気の利いたジョークや 煙草の火までつけてくれる
でもジョンの居場所は此処じゃない
ビル(注) もううんざりなんだよ
ジョンの顔から笑みが消える
映画スターにだってなれると思うんだ
もし此処から抜け出せたら
(注)ビリージョエルはここロスではビル マーティンという名で
ピアノの弾き語りをしていた。
Now Paul is a real estate novelist
Who never had time for a wife
And he's talkin' with Davy who's still in the navy
And probably will be for life
ポールは小説を書いている不動産屋
恋人を見つける暇も無いくらい忙しい
でも、ここでは定年まで海軍にいるだろうディヴィーと気分転換のためなのか、
ずっと話し続けている
And the waitress is practicing politics
As the businessmen slowly get stoned
Yes, they're sharing a drink they call loneliness
But it's better than drinkin' alone
客のご機嫌をとって注文を多くとりチップを稼ごうとするホステス
ビジネスマン達はゆっくりと酔いつぶれる
皆んなが淋しさと呼ぶ飲み物を分け合っているんだ
それでも ひとりで飲むよりはマシさ
Chorus<コーラス>
It's a pretty good crowd for a Saturday
And the manager gives me a smile
'Cause he knows that it's me they've been comin' to see
To forget about life for a while
And the piano, it sounds like a carnival
And the microphone smells like a beer
And they sit at the bar and put bread in my jar
And say, "Man, what are you doin' here?"
Oh, la la la, de de da
La la, de de da da da
Chorus
土曜日の夜にしては大変な混みようだ
支配人が僕に向かってニッと笑う
客達がここに来るのは俺に会うため ほんの少しの間だけ人生を忘れるためだって
彼は知っているのさ
ピアノの音はカーニバルのように鳴り
マイクはビールの匂いがする
客達はカウンターに座り
俺の前の瓶に金を入れてくれる
そして言う「兄さん 一体全体あんたはここで何をやっているんだ?」<コーラス>
訳:akiraakira
2005年4月7日、英南東部ケント州の海岸で保護された身元不明の男性。
2005年8月19日、初めて口を開き病院職員に自らの正体について告白。男性はドイツ南部バイエルン州出身の20歳でアンドレアス・グラッスルと名乗った。20日にドイツへ帰国したと伝えられている。
ニュースサイトによると男性はパリで失業、4月に高速列車に乗って英国入りし海岸を放浪中に保護された。ピアノについては同じキーをたたき続けるだけでほとんど演奏できず、ピアノの絵は「最初に思いついただけ」とされている。一言もしゃべらなかった理由は医師らを欺くための芝居だったと報じているが、保護療養中の状態については病院発表と男性側弁護士の意見に食い違いも見られる。英医療当局は男性への訴訟を検討していたが、取り下げた模様。
「ピアノマン」について、これまでの情報では、男性は身長約180センチの金髪で20〜30歳代。荒天だった2005年4月7日夜、ずぶぬれの黒スーツ姿で海岸を歩いているところを警察に保護された。衣服からはラベルがすべて切り取られていた。英メディアで報じられた後、全世界から1000件以上の情報が寄せられ、これまでにフランス出身の路上ピアニスト、カナダの記憶喪失男性、チェコのキーボード奏者、ドイツ人などが取りざたされたが、本人や家族が否定。ピアノマンは保護されて以来、約4カ月間言葉を話さない状態が続いていた。保護先の医師がペンと紙を渡すとグランドピアノの絵とスウェーデン国旗を描き、病院の礼拝堂にあるピアノの前に連れて行くと「白鳥の湖」やジョン・レノンの曲のフレーズ、オリジナルらしい曲のフレーズを数時間に渡ってひき続けた。以来マスコミから「ピアノマン」と呼ばれていた。