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ピエト・モンドリアン

(アート)
ぴえともんどりあん

オランダの抽象画家。Piet Mondrian。

概要

具象画よりキャリアを始めたが、多くの試行錯誤の末、水平線と垂直線、そして少数の色しか用いない、おなじみの作風に辿り着く。1872年3月7日年生まれ。1944年2月1日、没。
アムステルダムで絵画を学び、パリでキュビスムから次第に抽象主義へと向かう。1920年代後半にアムステルダムでファン・ドゥースブルフやファン・デル・レックらの「厳密なスタイル」を唱える抽象主義者らと出会い、1917年、『デ・ステイル』を創刊、「新造形主義」を提唱して理論・実践活動を行う。24年にファン・ドゥースブルフとの思想的不一致によって『デ・ステイル』を雌れた後は、パリの抽象主義の運動『セルクル・エ・カレ(円と四角)』やその後継の『アブストラクシオン・クレアシオン』などを拠点に世界的名声を確立する。この時期のモンドリアンのアトリエには、バウハウスの設立者グロピウスなども頻繁に訪れていた。第2次大戦期には、モンドリアンは合衆国に亡命し、『ブロードウェイ・ブギ・ウギ』(1942〜43年)など、その新造形主義の集大成といえる作品を製作するとともに、ポロックら戦後の合衆国の抽象表現主義に大きな影響を与えた。


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