フェミニズム神学

フェミニズム神学

(一般)
ふぇみにずむしんがく

フェミニズム神学は、1960年代に、アメリカを中心に広がった女性運動から派生した。第二次世界大戦という悲劇を体験した神学は、積極的に俗世と関わることに抑制的であろうとするバルト神学が主流を占めることになる。神の主権を重視し、人間の自由をあまり重視しない。教義は、理性一般からは理解できない、など。信仰や教会は、人間の積極的な行動を促すというよりも、教会内部へ引きこもりを起こしている面がある。だけど、現に社会には貧しい人や抑圧されている人がいる。そこから、解放神学の一つとして、フェミニズム神学が台頭してくる。ただし、フェミニズム神学といっても多種多様であり、伝統的秩序からの自由を主張する場合もあれば、伝統的秩序への自由を主張する場合もある。後者の例は、アメリカ南部のパブティスト教会に見られ、「お前は男を求め、彼はお前を支配する」(創世記三・十六)「妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい」(エフェソ五・二二)というロジックにより、女性の男性への服従を説く。これを聞いた、クリントン元大統領は、男女平等を掲げ、あの性格がきつそうなヒラリー・クリントンにこのことを伝えるかどうか悩んだ、という逸話がある。

ただし、フェミニズム神学も幾分は区分が可能である。男性との共存・共生を肯定するリベラル・フェミニズム神学、ロマン主義的フェミニズム神学、福音派のフェミニズム神学。これに対して、男性との対立姿勢を前面に展開し、女性の共同体を創出しようとするラディカル・フェミニズム。女の経験重視という共通点の上に、男性という軸をひくと、この二つに分かれる。だが、その女の経験重視や一般化に対して、ポストモダン的フェミニズム神学が批判する。女の経験というものを一般化したり、抽象化するのは、批判すべき男性と同じ思考様式となってしまう。その点をポストモダンのフェミニズム神学は否定する。その後、今までのフェミニズム神学は、白人女性のみを対象にしていて、そこから排除された女性がいる、という批判がでてくる。例えば、黒人女性のウーマニスト神学、カトリック・ヒスパニックのムヘリスタ神学などである。

現状をいえば、フェミニズム神学も、他の神学同様に、細分化の波にある。社会的な弱者を解放しようとする思想や宗教には困難がある。だれが本当に社会的弱者なのか、だれが本当に社会的に排除されているのか。このことのコンセンサスを得ることは大変難しい。他方、神学とは、元々個人の救済の問題を扱う。たとえ個人の社会的状況の改善がなされたとしても、本当に救済されたと感じることができるとは限らない。

新着ブログ: フェミニズム神学