フェルナンド・カルロス・レドンド・ネリ
Fernando Carlos Redondo Neri
アルゼンチンのサッカー選手。
1969年6月6日生まれ、ブエノスアイレス出身。186cm 75kg
1987〜1990 アルヘンティノス・ジュニオールズ(アルゼンチンリーグ)
1990〜1994 テネリフェ(リーガ・エスパニョーラ)
1994〜2000 レアル・マドリー(リーガ・エスパニョーラ)
2000〜2004 ACミラン(セリエA)
1992年 コンフェデレーションズ・カップ優勝
1993年 コパ・アメリカ優勝
1994年 FIFAワールドカップ・アメリカ大会出場
アルヘンティノス・ジュニオールズから21歳のときにスペインのテネリフェに渡る。4シーズンを経て1994年にレアル・マドリーに移籍。監督に就任したばかりのホルヘ・バルダーノがテネリフェから引っ張って来たのであった。すぐにレギュラーとなって活躍し、このシーズンのリーグ優勝に大きく貢献する。
1996-1997シーズンにもリーグ優勝を経験すると、1997-1998シーズンにはチーム32年振りとなるチャンピオンズリーグ制覇を果たし、第1回のインターコンチネンタルカップ以来遠ざかっていたクラブチャンピオンとして、トヨタカップを制す。さらに1999-2000シーズンのチャンピオンズリーグをも制し、この大会のUEFA最優秀選手に選出された。
アルゼンチン代表としては、まず、21歳のとき、ビラルド監督と折り合わず1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会出場を辞退。バシーレ監督に交代となって招集に応じ、1992年10月16日コートジボワール戦でデビューを果たすと、同年コンフェデレーションズ・カップ優勝、1993年コパ・アメリカ優勝、そして1994年FIFAワールドカップにも出場を果たした。
バシーレ監督からパサレラ監督に変わると、再び意見の相違により代表を辞退。このときの理由が「髪を切らないから」というのは実際は違うんだろうなと思う。1998年のW杯後、ビエルサ監督になってから代表に参加するも、怪我が長引いたため、招集されていない。
2000年レアル・マドリーからACミランに移籍するが、怪我のためまったくプレイできなかった。ようやく怪我が治って2002年12月7日ローマ戦で復帰。しかし、2003-2004シーズンは出場機会は少なく、このシーズンをもって現役を引退した。
レドンドは、実際のところ、この10年あまりのアルゼンチンを代表するボランチである。姿勢よくルックアップして正確な長短のパスを送る、その優雅なプレイぶり。一方でアルゼンチンの選手らしい激しさも持ち合わせる。元々インテリっぽいファッションを好むところもあり、体育会系のスポーツマンたちには今一つ好かれない傾向があった。