[Edmund Husserl]1859年〜1938年 現象学的哲学を確立したオーストリア出身(フッサール出生当時はオーストリア帝国、現在はチェコに属しているモラヴィア地方東北部プロチョエフ(ドイツ語では、プロスニッツ)という町で生まれる。)のユダヤ系ドイツ人。哲学以外にも人間を対象とする科学全般に大きな影響を与えている。
愛称「フッ君」
デカルト的省察 (岩波文庫)
*リスト:リスト::学者
……フッサールと別れたMASAYUKIが次に向かったのは、「礼儀はいい。で、“存在”って何だ?」って、もう玄関で殴ってくるタイプの人のようだ。では、歯を食いしばって、玄関を開けよう…… ◇ マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger) 生没年:1889–1976 生国:ドイツ帝国(バーデン地方・メスキルヒ) 主に活躍した国:ドイツ 拠点(ざっくり):フライブルク大学/マールブルク大学(教授職など) 肩書(世界史的には):現象学の継承者にして改造者。テーマは一言でいえば 「存在(Sein)」。ただし「存在とは何か」を、机上の概念じゃなく “生きている私”のあり方から問う。 主な著書…
友達と「ある話」をした後に、ロイヤル・バレエの抽象的なバレエ三部作を鑑賞した。彼女とは、言語化=理性の明晰さを突きつめていくと、なぜか「言葉を超えた美が立ち上がる」というような話をしたのだ。「言葉にならない・できない感情」がある。 「それを表せるのがダンスや音楽や絵画」がある。 ...などと語られることがある。しばしばロマンティックに。 その言葉にならない感情、の正体って何? という話をしたのだ。 わたし自身は、「言語を超えた美」という言い回しそのものが、すでに言語を前提としていると考える。美を語るとき、人は必ず概念=言葉の網に触れてしまわざるを得ないので、「非言語の純粋領域」というものは存在…
……フッサールの現象学、スクリーン存在論とは相性の合う部分がありながら、相容れない境界もみえてきた…… ◇ 客観世界と無限後退 MA)そろそろ総まとめしたいのだけど、その前に一つ言っておきたかったことがあるんだ。 確かにフッサールの言うことは解るんだけど、ボクが違和感を覚えてしまうのは、客観世界は「複数の主体が前提」じゃないと成立しない、ということが前提にあるからだと思う。ボクはそもそも、客観世界であることを前提としなくてもいい(前提にできない)と思っている。 また、フッサールの思想を理解するうえで「無限後退に陥る」ことを避けたけれど、ボクはそれもありだと思っている。というより、むしろそうなん…
……「死は世界の出来事ではなく、私の可能性の終端だ」(フッサール) MASAYUKIも近いことを言っていたけれど、それでも抗議は続いている。では、MASAYUKIが嫌のなのは、どっち? 「世界が続くこと」「自分が代替可能になること」…… ◇ 死後世界はホライゾン MA)うん、世界が続くこと自体が嫌なわけはないよ。でも、もしもそうならば、自分というものはあまりにも軽く扱われていないか? という嫌な感じ(笑) だから、そうならないように、ボクは時間を疑って死を無効化させる。でもフッサールの「今の意識が構成する意味」に落としてしまえば、結局同じレベルの納得感が出るかもなぁ。 先生)うん、今の言い方、…
……「他者の超越的自我を共感で立てる」(フッサール) でもMASAYUKIのとっての他者は、スクリーンに投影される映像に過ぎないという立場。さて、反応は…… ◇ あの人の背後にも主体が… MA)「スクリーン存在論」では、他者はスクリーン内では映像、いるとすればスクリーン外に可能性あり、という立場。フッサールは外を立てないというのであれば、他者とは目の前に現れている他者だよね。彼らにもボクと同じような自我があるとするのか。だとしても、それ、推定でいいんじゃない? 先生)うん、**「推定でいい」**は、生活者としてはほぼ正解。ただ、フッサールがわざわざ粘るのは、そこを“単なる仮説”にしてしまうと、…
…「私」とはからっぽの点であると同時に「世界が立ち上がる結び目」でもある。さて、これを聞いたMASAYUKIは、嫌気がさしたかな?… ◇ 純粋自我とは MA)おぉ、嫌気が差すどころか、構造としては「スクリーン存在論」と同じではないか。ボクらはこれまで、スクリーン外で映像を観ている者こそ「主体=私」ではないか? という話をしてきた。これが純粋自我ってことになるのかな? 先生)かなり近い。というか、**構造だけ見れば「同型」**と言っていい。 ただしフッサールは、あなたの“スクリーン外の観客”を **そのまま「外部の何者か」**としては確定させない。ここが大事。 まず答え:あなたの「スクリーン外の…
…ニーチェは「どう生きるか」を突きつけた。フッサールは「そもそも世界はどう現れているのか」を問い直す。ここから哲学は、スクリーンそのものを覗き込む。… ◇ エトムント・フッサール(Edmund Husserl) 生没年:1859–1938生国(当時):オーストリア帝国(モラヴィア地方・プロスニッツ/現チェコ)活躍した国(主に):ドイツ(大学教員としてのキャリアの中心) ハレ(Halle) ゲッティンゲン(Göttingen) フライブルク(Freiburg) 肩書(自称というか、世界史的には):現象学(フェノメノロジー)の創始者。「意識のはたらき」を、先入観抜きで精密に記述しようとした人。 主…
■Sync-Ing in the stream of experience: Time consciousness in Broad, Husserl. and Dahnton, by S. Gallagher. PSYCHE, 9(10), April 2003を読む。 この論文オンラインのみのせいか頁番号がないが、8p.目、3-2節から引用する。 「すでに指摘したように、Broadは見かけの現在(specious present)から直後の未来を排除した、まさに把握すべき存在するセンスデータを必要とするのに未来のセンスデータもしくは未来についてのセンスデータはまだ存在していないが故に。Hu…
■内海健(2008)「フッサールのナイフ」(『日本病跡学雑誌』76、所収)より抜粋する。 『デカルト的省察』(1931)の中には次のような文言がある。「二つの第一次的領域は‥‥私には越えてゆくことのできない深淵(Abgrund)によって切り離されているのではないだろうか」(Husserl, E.: Cartesianische Meditationen und Parisier Vorträge. Husserliana I, S.150, 1929) 「第一次領域」とはモナドとしての意識であり、二つの第一次的領域とは私のモナド世界と他者のモナド世界である。その二つが深淵によって切り離されてい…
forbesjapan.com 私 AI企業が国の力を超える例があるわよ Gemini はい、拝読しました。このForbes JAPANの記事は、米国における政府とビジネスの関係性の変化、特にAIのようなテクノロジーがこのパワーバランスに与える影響について、グローバルな視点から非常に深く分析していますね。 AI企業が国の力を超える「新たな秩序」 記事の内容をまとめると、米国では戦後の秩序が揺らぎ、「国家資本主義」のような新しい枠組みが形成されつつある、という点が核心です。特に、シリコンバレーの巨大AI企業が、経済だけでなく政治にも強い影響力を持つようになっていることが、その顕著な例として挙げら…