また、女学生を珈琲店に伴って煙草を奨めた時「戸外では育ちのいい家の娘は煙草を喫いませんのよ」と断わられて、何言ってやがると癪に障ったことがあった。ぼくが、癪に障るのは、その判断の是非のためではない。青春時代に、自分の人生の目的が育ちのいい人間になることでしかない、不熱情な精神がイヤだったのである。その理由は一つ、彼らの家庭が大体、中産階級の保守系であること、このブルジョワの家庭ではぼくも生活したが、一面、キリスト教的な、美しく、立派な伝統がある代わりに他方、狭隘な人生観、道徳観が根を張り、くたびれ、疲れた匂いを発散して、息がつまりそうであった。(遠藤周作『フランスの大学生』小学館、2017) …