(Francois Delecour)WRCの名ドライバーの一人(現在休業中)
氏名:Francois Delecour
1962年8月30日フランス・カセル生まれ。
WRCベストランキング:2位
WRC優勝:4
独身
子供2人
趣味:サイクリング、ジェットスキー
WRC初出場:1984年モンテカルロ
WRC初優勝:1993年ポルトガル
- 日本での愛称は「俺様」。ラリー速報誌、「RallyX」でコラムを連載する際、訳者は「私」という言葉を「俺様」と訳し、文章もいかにも荒くれ者が語ったような言葉で綴られていた。この翻訳は本人の意思通りだったかどうかは不明だが、彼のイメージ通りだったのは衆目の一致するところだろう。
- 少年の頃のデルクールは父親の跡を継ぐ建築家を目指していたが、近所でラリーが頻繁に行われていたため、あっさり目標をラリードライバーに宗旨換えしてしまった。そして、ついには遠くのラリーを観戦するようになり、免許取得と同時にラリードライバーとなる。その後は戦績の項にて。いきなりプジョーやフォードワークスに抜擢されるシンデレラ・ボーイかと思いきや、たいてい扱いは第2・第3ドライバー。エースになったと思ったらこんどはマシンがダメだったり、折角このままだとワールドチャンピオンだと思った矢先に交通事故と、ツイてるんだかツイてないんだか良く分からない。
- 兎に角、熱血漢で義理堅い、そして苦労人のアニキ。これがいつまでもファンに支持される第一の理由だろう。
- エピソード
- 1991年のモンテカルロラリー。当時、殆んど無名の状態からフォードワークスに抜擢されたばかりの新鋭デルクールは周りの予想を覆すような大活躍を見せ、トップのタイムで最終日を迎えた。だが皮肉にも最終日のゴール直前で彼の車は不調になり、その上車を横転させてしまう。そのまま彼は観客やテレビレポーターの待つ場所で車を降り、なにかを涙ながらにアピール。同じフランス人が大多数であろう観客に「すまない!」といった。するとみんなが大歓声。「よくやったよ!」と言ったところか。そうすると、そばにいたおそらくただの観客のおじさんが彼の肩を叩く。テレビのレポーターも涙をぬぐっていた。
- 2000年コルス。当時のチームメイトのジル・パニッツィが闇レッキを敢行したのをプレスから聞いたデルクールは、パニッツィに掴みかかる。チーム総出で押さえに掛かられ、パニッツィから引き離されたデルクールは「この卑怯者!!」「ファ○ク野郎!!」などと泣き叫びながらずるずるとモーターホームの自室に引きずられていった。
- 2001年フォードワークス時代、SS走行中、勢い余ってシフトレバーを折ってしまった。当然ギアはそこで固定されたままそのSSを走行するハメになった。
- ハイテクが嫌い。既にアクティブデフが主流であった2000年。当然、彼のプジョー206WRCも3つあるデファレンシャルの3つとも電子制御のアクティブデフを搭載していた。しかし、このアクティブデフ、コーナーの途中で特性がコロコロ変わるのでシーズン当初のデルクールは非常に苦しんでいたが、ついに切れた。「こんなインポのチ○ポのようなフニャフニャのクルマに乗ってられるか!全部機械式に戻しやがれ!!」と、あのコワーイ顔のコラード・プロベラ監督にもっとコワーイ顔をして詰めより、3つとも機械式にしたら、復活。その後のフォードでも彼のマシンだけは機械式のデフを使用。しかし、三菱ではメーカーの意地(脅迫?)で機械式にしてくれなかったので、苦戦した挙句、2003年三菱がワークス活動を1年休止してすぐ「こんなチームじゃあ俺様は一生勝てねえ!」と離脱した。その後のWRCはアクティブサスまで導入するようになってしまったので、どちらにしろ、ダメだったかも。
- 彼もペーペーの頃は英語もろくに喋れなかったが、そのうちちゃんとしゃべれるようになった。さぞ努力したのだろうが、彼曰く・・・「テープでな、I am Delecour.からやったんだよ」しかし、彼がラジカセを前にして「I am Delecour.」ってやってる姿が想像できない。
- 彼はモンテカルロラリーのコースに大いなる不満を持っている。理由は、ジル・パニッツィの自宅前を何度も走るからである。
- 相棒のコ・ドライバー、グラダループが負傷して出場できなくなった時に、ペーペーの若手をあてがわれたデルクール。この若手のまたヘタクソなナビゲーションにキレ、SSを走りながら半ばレースそっちのけで説教を続けた。
などなど・・・・・・・・・・・きっとまだまだあるぞ。
- 戦績
- 1981 アウトビアンキA112アバルトでラリーデビュー
- 1984 タルボサンバでモンテカルロラリーに出場
- 1987 フランスラリー選手権でプジョーワークスドライバーに抜擢され、グループNの205GTiをドライブ
- 1988 プライベートのBMW M3でフランスラリー選手権に出場し、表彰台を数回獲得。
- 1989 フランスラリー選手権:4位−プジョー
- 1990 フランスラリー選手権:3位−プジョー
- 1991 WRCにフォードワークスから参戦。 ランキング:5位
- 1992 ランキング:3位−フォード
- 1993 ランキング:2位−フォード
- 1994 交通事故の怪我で5ヶ月間のブランク。−フォード
- 1995 ランキング:4位−フォード
- 1996 F2クラスにエントリーするプジョーワークスに移籍。フランスラリー選手権で優勝2を含む、表彰台7でランキング3位
- 1997 フランスラリー選手権に表彰台5でランキング3位
- 1998 WRCで2位一度:ツール・ド・コルス(F2優勝)
- 1999 4位:モンテカルロ(フォードエスコートWRC)ツール・ド・コルスで初めて206WRCをドライブ。
- 2000 ランキング:6位−プジョー
- 2001 フォードに移籍。ランキング:9位
- 2002 三菱に移籍。コルスで7位に入ったくらいしか戦績なし。
- 2003 三菱のワークス活動1年休止により三菱を離脱。現在浪人中。