プチブルジョアジーの略。小ブルジョア。 小市民。成り上がり。 元来、企業家などのブルジョアではないけれど、商店経営者やその息子・娘など、決してプロレタリア・労働者階級ではない階級出身者を指した。左翼用語としては階級闘争と共産革命に奉仕する以外の思想を批判するために使う。たとえば一党独裁に反する民主主義や個人主義はプチブル的である。
近代を舞台にした歴史戦略シミュレーションゲーム、ヴィクトリア3 (Victoria3) のプレイ日記です。長くなってきたので分割しました
推しのライブのために神戸へ。 神戸は若い頃に行ったことがあるけれど、お買い物やお茶するのが好きではないので、ライブ以外の時間をどう過ごすかが悩み。 新神戸駅のそばに気になる博物館を見つけました。 竹中大工道具館 道具がたくさん 模型がたくさんあって楽しい 一滴庵の見学 「とんぼ玉ミュージアム」 竹中大工道具館 竹中工務店が作った財団法人が運営している大工道具の博物館。当初は中山手にありましたが、2014年から現在の場所に移転。 大工道具だけでなく、ものづくりの技術などの展示があります。 茶室をイメージした建物 中卒の大工の父は「女が勉強できても仕方ない。高校出たら働け」と、私が勉強するのを嫌が…
392.『道草』先行作品(7)――『思い出す事など』 漱石は旅行記に向かない作家である、と前の項(本ブログ道草篇16)で述べたが、(12月1月問題という)季節の連想でいえば、これは漱石の文学的出発点が俳句にあることと関係していよう。俳句は説明を嫌う。俳句は(本ブログ道草篇6でも引用した寺田寅彦へのレクチュアによると)扇の要(集注点)を書くものである。百何十度だかに開いた扇の扇たる部分は、読者に想像させる。想像させないまでも、その広がった部分はわざと書かない(詠まない)。 それが漱石(に限らないが)の小説のリズムを生む。吾輩に名前が付かない理由を書かない。坊っちゃんの無鉄砲が父親譲りなのか母親譲…
花束みたいな恋をした 菅田将暉 Amazon ★★★★ 2015年。大学生の麦(菅田将暉)と絹(有村架純)が京王線明大前駅で終電を逃したことで知り合う。他に終電を逃した2人と4人で深夜営業のカフェへ。麦と絹は離れた席に押井守がいることに気づく。そのことで意気投合した2人はサブカルについて語り合う。麦の家に絹が遊びに行くと本棚のラインナップが自分と同じだった。趣味が似ている2人は交際を始めるが……。 坂元裕二脚本。 サブカルに耽溺する洒落臭いカップルに焦点を当てた恋愛映画。青春の終わりを感じさせる内容でせつなかった。こういうのを見ると、カルチャーって金持ちの道楽じゃないかと思う。事実、メディアに…
先日キャンプのイベントに参加してきた。 抽選に応募したら、当選した。 日頃から徳を積んでいた甲斐があった。 その名前からもわかるとおりスノーピークが主催するイベントになるが、実は過去に一度参加したことがあり、4年ぶりの参加になった。やはりスノピ。という感じで楽しかったため、ブログを記すことにする。 料金はイベント参加料1人3,300円、ヘッドクォーターズのテントサイト利用料1,650円、スパ1,600円となっている。 参加費とサイト代を併せて1人5,000円で参加でき、その料金でミニシェラカップをもらえたり、日本酒の久保田、ウィスキーの白州を飲めたり、他にも色々至れり尽くせりだ シャワーが24…
■アドルフ・ヒットラーは間違っていなかった・・・のではないか。私は、昔から、大きな声では言えないが、ヒットラーが嫌いではなかった。《 嫌いではなかった》というより《大好き》だった。私は《 思考力》を鍛えるためにヒットラーの『 我が闘争』やヒットラー関係の文献を読んでいた。つまり、私は、周りの小市民的常識論、プチブル的センチメンタリズム、井戸端会議的な倫理や道徳が大嫌いだった。そういう私にとって、ヒットラーは絶好のテキストだった。ところで、今、あらためて、アドルフ・ヒットラーは、間違っていなかったのではないか、と思う。ヒットラーが間違っていたのは、戦争に負けたことだけではなかったのか。私は、高校…
タイトルは主語も目的語もでかい話で、正直よくわからない。でも最近のアメリカで起こっていることを聞いていると、治安維持、必要じゃないの? って思ってしまう。 全米に押し寄せる「万引の波」 凶悪化で閉業相次ぐ - 産経ニュース 梅宮アンナ、50日滞在してわかった「大好きだったアメリカ」の悲惨な現状。育児にベストな国ってどこなんでしょうね(OTONA SALONE) - Yahoo!ニュース 米で若者約100人の集団略奪事件 同種事件相次ぎ小売店の閉鎖も | NHK | アメリカ これらの報せをみて、まともな感覚の持ち主なら「治安維持が必要だ、アメリカの治安はどうなっているんだ」と思うだろう。と同時…
左派や「リベラル」派も当たり前のように使う「国民」という言葉ですが、実のところ「国民」概念は、いくつかの看過できない問題も内包しています。 「国民」概念の問題性は、第一に、それが同化と排除の論理に貫かれているということです。人民を天皇制国家の「国民」として一つに束ね、そこに束ねられない人民を差別して疎外する同化と排除の論理は、天皇制イデオロギーと密接に結びついた日本のファシズムあるいはレイシズムの中核をなす論理であり、そしてそれは日本社会の支配構造あるいは差別構造を支える論理です。しかるに、ファシズムやレイシズムに反対する「アンチファ」あるいは「良心的なマジョリティ」の中にも「国民」概念を貫く…
ykondo57.hatenablog.com 某日 『コンセクエンス』のことを思い出しつつ、ネットフリックスで『ベイビーわるきゅーれ』が見られるようになったので、全編を再見した。ジョン・ウィックシリーズでは全く描かれない、ゼニ(のなさ)をちゃんと描いていることを再び実感した。『ベイビーわるきゅーれ2ベイビー』でとにかく主人公たちも敵の兄弟も日本に生きる若者の貧しさから逃れられない様を描いている。映画自体の爽快さやユーモアの下にあるこの要素が今の日本を残念ながらすごく的確に描いているように思えた。その続編の印象からか、1本目でも主人公2人にはお金がないのかと思っていたが、内の一人は、お昼ご飯一…
中国に対するODAを政府に決定させたのは、ほとんど朝日新聞の力である…なんという悪だろうか。毎日の記者と同様のチンピラに過ぎない朝日の本多勝一が2019年09月30日中国について言えば、これ以上の悪が、どこに在るだろうか。 梅棹忠夫の結論の正しさが金字塔の様に輝いている。 中華圏とは、「底知れぬ悪」、「まことしやかな嘘」の国である。と題して2019-04-22 14に再発信した章である。元々は2015/10/17に発信した章。南京大虐殺の真実を…高山正之の「アメリカと中国は偉そうに嘘をつく」の、p102以上に、伝えている本はないだろう。私は…南京大虐殺事件の捏造というものほど…ありとあらゆる悪…
1974年6月、木犀書房から刊行された大森澄(1914~?)の第3詩集。刊行時の著者の職業は酒匂川サイクリングコース巡回指導員、住所は小田原市南町。 「宵待草」、「娑婆」にいただいた沢山の手紙や、その書評が図書新聞、その他の新聞詩誌等で好評だった時には自分のことのように喜んだ妻だった。その妻をモデルにしたりして書きためておいた短篇小説集を去年出したところ、朝日新聞学芸らん、その他の新聞文芸誌等で好評だったが、妻のように喜んでくれた者はいなかった。そんな妻が偲ばれて妻に関する死後の作品を第一部男やもめに、第二部「古女房」には妻の生前に書いた未発表の作品と「宵待草」、「娑婆」より妻に関するもの八篇…
⭕️彼岸花、酷暑の乾燥で干上がっていたのですがここ数日の雨を得て沢山伸びてきました。 ⭕️ この状態で緑ということは白い南天でしょうか。赤は数本あるので、そうだと嬉しいです。 ⭕️ 今日の朝の室温は26度。眠る時上掛けが必要になりました。 ⭕️ 新聞広告に誘われて新しくできた高倉町コーヒーに行ってきました。インテリアは庶民向けのプチブル的と言って良いのかな。 ⭕️ 以前に鳥居を見に立寄った直江津の日鉄工材の入り口のハート型彫刻に目を惹かれ撮影してきました。 本日はこれにて。
わたくしは「進歩的文化人」というのは全てのことに対策があると思っている人たちだと思っている。 誰だったか、「進歩的文化人」というのは、対策をたてれば人間は死ななくなると思っているのではないかと揶揄していた。 人間もまた動物の一種であるはずだが、(私見によればキリスト教の悪影響で)人間だけは一種特別な動物、何だか神様に近い不思議な生き物と思っているひともいて、進歩的文化人という人達はその系列に属するのではないだろうかとわたくしは思っている。 そこで生じるのが「科学」の問題である。 「科学」もまた西欧の産物である。 この「科学」によってほとんどの問題は解決可能であると考える人々があり、その一系列に…
といっても、今でもいるのだろうと思うが以前ほどの勢いはないように思う。 しかし、わたくしの若いころには大した勢いで、わたくしなど「お前のようなやつは、俺たちが天下をとったら縛り首だ」などと言われたものである。(←これは全共闘運動が華やかだったころの話。わたくしは別に右派というわけではなく、気の弱いノンポリに過ぎなかったと思うのだが、とにかく彼らから見ると自分達より右側にいる人間はすべて敵側ということになるらしかった。) そのころ、「三派」というのがあって、調べると《ブント解体の1961年以降,全学連中央執行部は革共同の学生組織マル学同(日本マルクス主義学生同盟)が握るが,63年4月,革命党の建…
これまで何度か広告業界を描いたドラマや消費社会論の変遷――広告や消費をめぐってどのような議論がなされてきたか――についてふれてきました。私がそうしたことについて述べるようになったきっかけは、以下のネット記事です。 電通・博報堂の男性社員が「圧倒的にモテる」そもそもの理由(難波 功士) | 現代ビジネス | 講談社(1/7) なかなかすさまじいタイトルで、我ながら「なんだかなぁ」ですが、単純なルッキズムというよりは、もう少しブルデュー的な各種資本の観点から大手広告代理店社員の採用のされ方について考えてみてもよいのでは、と考えた次第です。 私個人は、父親が早世したため経済資本的にはさほど恵まれず、…