→ベルクソン ベルグソン、アンリ。哲学者。 かつては「ベルグソン」と表記されることが多かったが、 最近は「ベルクソン」と表記される。フランス語の辞書を 見ても、両者の発音記号が載っているが、ベルクソンの 出自を調べた研究者(確かPh,Soulez)により、正式には 「ベルクソン」であるとされている。
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近代思想十六講 作者:中沢臨川,生田長江 発売日: 1924/01/01 メディア: - デジコレ(今は近デジじゃないのね)で公開されるようになって、戦前の本はだいぶ閲覧しやすくなった。まぁだけど読む人いないよね。 戦前の日本というと、20世紀初頭の新カント派や、1920年代後半以降に非常に広がったマルクス主義など、ドイツ思想の影響をイメージする人が多いと思うんだけど、1920年代前半ぐらいまでは、フランスの思想もかなり参照されてた。ベルクソン(当時はベルグソン)なんかはナチスで再読されたものが日本に入ってくるよりずっと前から影響があったし、社会学の祖オーギュスト・コントとか、クロマニョン人を…
トインビー博士のなし遂げたもの戦争に対する絶対反対の強い姿勢が生涯の学問研究の根本的動機通奏低音のように、繰り返し繰り返し生涯にわたって著作の中にあらわれてくるパブリックスクール ウィンチェスター校での経験より強く影響を受けているもの友人を第一次世界大戦最初の2年間で半数を失うウィンチェスター校のホームページにいまだに写真入りで、第一次世界大戦での戦没者の紹介があるトインビー博士、生涯最後の会合 ウィンチェスター校での式典 ラテン語でスピーチ一生涯の強い友情の絆自宅のマントルピースの上の写真立て具体名をあげて、言及される。exチーズマン……・etcなぜ多数の戦死者がごく短期間に、パブリックスク…
今日は、日勤でしたがお月様がきれいでした! 今日はドライブや、室内で音楽などで楽しみました。皆さんそれぞれの表現で楽しまれていました! 下記は見ごたえがありそうですね!記事は有料ですが、画像は見ることが出来ました。緊急事態宣言で県外の移動が難しくなっていますので無理ですが、こちらにも回ってきて欲しいですね! 下記は、上記のサイトからの引用です。哲学になると、ロックやブルースからジャズに入るような気持ちになってしまいます。 ドゥルーズによれば、現在の自分は昨日との差異であり、明日は現在との差異である。この流れの捉え方で実存主義と構造主義が似ているのは、ベルグソン(持続、直観、エラン・ヴィタール)…
ここのところ、どうにも睡眠導入剤の効き目がよくない。 以前なら、飲んで小一時間で自然な眠気が来ていたのに、それが来なくなっている。 眠れないと、翌日以降が地獄になる。きちんと寝てこその療養だ。 というわけで、コロナ入院で途絶えていた就寝前の末っ子の音読習慣を再開してもらった。 一昨日の夜は、アンリ・ベルグソンの「意識に直接与えられたものについての試論」の冒頭を読んでもらった。行間に挿入される末っ子のツッコミに爆笑しているうちに眠くなり、あっさり寝付いてしまった。 昨晩読んでもらったのは、ニール・スミスの「ことばから心をみる―言語学をめぐる二十話」という本。 本文中に、言語学者らしいちょっとした…
敗戦記「その17」も同じイラスト 昨年1月10日から 「読書感想文もどき」に至らなかった「敗戦記」 というのをアップしていますが、今回17回目です。 私の現在形として、本を読める環境というのは、変わっていません。 ありがたいことです。 イラストもあえて、同じものを使用、趣旨も同じで、硬軟とり交ぜ、 読者への何らかの参考となればと・・・ 1.日本批評大全 渡部直己/編著 出版者 河出書房新社 2017.1 「日本小説技術史」の著者である批評家・渡部直己が、江戸後期から 蓮實重彦、柄谷行人まで、近現代の批評70編を精選し解題したもの。 日本批評の全貌を俯瞰・総括する、個人編集による批評集成です 渡…
好きな外国の著作は邦訳の全部集めたくなる。そんな本が何冊もある。今、思い出すだけでも、ゲーテ「ファウスト」、カフカ「審判」、メルヴィル「白鯨」、ブロンテ「嵐が丘」、ドストエフスキー「罪と罰」、ベルグソン「時間と自由」等々。 集め易いのはマイナーな言語の長編小説。典型はロシア文学である。有名な「罪と罰」でも邦訳は八例しかない筈である。 これが程よい長さの英米文学で、学生向きの著作となると翻訳数が増える。「嵐が丘」だと十五も邦訳がある。マルケス「百年の孤独」のようにノーベル文学賞の著作でも、いまだに翻訳がひとつという例もある。これは独占翻訳権だけの問題ではなかろう。 翻訳を比較すると、気合の入れ方…
人気画家にも流行があって、若冲、フェルメールは半世紀前にはさほど騒がれていなかった。閑長が幼いころ読んだ美術画集に、若冲の絵はは小さく二点、フェルメールはデルフトの眺望しか掲載されていない。当時はマチスとルオーの時代だった。 今、流行と書いているが、はやり廃り、潮流、潮目の変化、時代を映じる、など、表現する言葉も色々ある。どの言葉を選ぼうが30年、50年を経てどう評価されるかは、実際に時間が経ってみないと解らないので、結局、今の自分の眼で見つめ、判断するしかない。けれども自分自身の眼も判断も固定的ではなく、行き来し、熱しては冷め、訪れては、又流れ往くものだから困ってしまう。ルオーに傾倒したかと…
『歴史への姿勢』の喜劇的枠組みに関する企図の多くは、そうした安売り、または叩き売りとさえ言えるもののなかでくつろぐことになろう。しかしまた、不調和な遠近法、「想像的なものの官僚化」を巡って「放射される」この本の「中枢語」とともに、企図にあった弁証法はそのときに明らかであったものよりも、より広い「終末論的な」含意の原理を導入した。実際、官僚化の過程が対抗自然の指数関数的な曲線と同じことをあらわしている限り、人間の歴史の現世的な<目的>は、我々の<いまの>苦境において<既に>あらわになっているとさえ考えられる――特にこのことは、テクノロジーはより以上のテクノロジーによる以外には、批評も支配も矯正も…
絵解き(判じ絵)・双六から生まれたコマ表現のさらに奥に迫る。 「それ以上」は、手を使って強引に顔を圧縮・拡大するというユーモアな対比絵から考える。 拡大された顔の部分は元に戻るためにひとコマ進む。 もとに戻るという圧縮は時間軸を形成する。 キーワード:アンリ・ベルグソン ジル・ドゥルーズ 参考 「四コマ漫画」 清水勲 著
『知の旅は終わらない』(立花隆、文春新書) その 3 東大でフランス文学を専攻することとなった立花は、フランス文学に限らず、主に20世紀文学を徹底的に読み漁った。 「文学を経ないで精神形成をした人は、どうしても物事の見方が浅い。物事の理解が図式的になりがちなんじゃないかな。文学というのは、最初に表に見えたものが、裏返すと違うように見えてきて、もう1回裏返すとまた違って見えてくる世界でしょう」(117ページ) そうか、私の見方、見識、人間味が浅いのは、文学を読まずに大人になったかららしい。子供のころから現在まで、東南アジア文学を読んでいた一時期を除けば、文学をほとんど読んでいない。日本や世界の名…
ヒグラシゼミではボクの守備範囲以外の乱歩や清張を取り上げる発表者が多いのだけど、今回もそれだネ。お蔭で無知の世界を知ることができるのはありがたいけど、できれば詳しい人がオンラインでも参加してくれることを期待してしまうネ。 レポーターのクリマン君が、参考文献として中川成美さんの作品論を送ってくれたので、ブログで希望する人には転送すると記した。 視覚性のなかの文学ーー江戸川乱歩「鏡地獄」の世界(『日本文学』2011・4) という論なのだけど、2度読んだもののほとんど参考にならないネ。少なくともテクスト分析には役立たないだろネ、原作を映画化した実相寺昭雄の映画作品論にはなるかもしれないものの、その判…
まーた憤怒氏が怒っている。現実的な真意は既に示されているやん、煩わすなと。いつか、「あの頃」にする、なるのだろうけど、そんなことは無関係ないやろがい、いちいち考えるなと。うむ、悲しくなる筋合でもない。悲しくなっているのも筋違いの解釈かもしれないし。まぁ、もっと距離感としては離れるべきよね。 さておき。 たくさん精神のご飯を買ったものだから、帰りによったスーパーで何も食べたくなかった。物理的には空腹だったから何かは食べねば。こっちで食べないとあっちでも食べられなくなる。ということで、たまたま半額だったトンカツ用の肉を買って、トンテキにして食べている。重たいが美味しい。付け合わせはブロッコリー。 …
敗戦記「その15」も同じイラスト 本年1月10日から 「読書感想文もどき」に至らなかった「敗戦記」 というのをアップしていますが、今回15回目です。 次回は、来年2021年でしょうか? イラストもあえて、同じものを使用、趣旨も同じで、硬軟とり交ぜ、 読者への何らかの参考となればと・・・ 1.座右の古典 今すぐ使える50冊 鎌田浩毅/著 出版者 筑摩書房 2018.9 「論語」「ソクラテスの弁明」「風姿花伝」「方法序説」など、 時間をかけて読む価値が十分にある50冊の古典を紹介。 あらすじや、覚えておきたいフレーズ、学びのポイント などを解説する。 P337 ラクに読みこなすためのお薦めの方法に…
1.もう二冊ぐらいは 花田清輝の『復興期の精神』を講談社文芸文庫で読んでいる。これもKindle Unlimitedで無料で読める一冊だ。講談社文芸文庫には他にも花田の評論集があるものの、無料で読めるのはこれくらいか。ちょっと悲しい。もうちょっと無料で読みたかった。(図書館行け) 2.人生いろいろ、楕円もいろいろ さて、『復興期の精神』はレオナルド・ダ・ヴィンチやらダンテやらポーやらセルバンテスやら偉人の事績を通じて人の生とはなんたるかを追究したものである。分けても白眉と言えるのはヴィヨン-ゲーテ-アリストファネスの一連の論考を通じて浮かび上がってくる楕円的思考だろう。 楕円というのは言わずも…
夕方に少し出かけた折、視界の端に白いものが見えて一種の雪かと錯覚した。雪が降るような気温ではないとは分かっているけど、そう見えるものは仕方がない。 なんという迂回的な交信。 でも、これで良いのか。何かを決めている感じ。ほんと変な人。 東京とはまた遠い。東京まではあまり行ったことはないけど、新横浜までは頻繁に行っていた時期がある。新幹線の車窓で植物の感じが変わるところがとても好きだった。とはいえ、この光景は切なさとセットだから、手放しの美でもないけれど。いや、想起される光景に手放しであるものなぞ何1つないに違いない。 今度行くならやはり古書店街は外せない。今のご時世どうなっているのだろう。そうし…