リコー(リコーイメージング)やHOYAの光学機器ブランド。
かつてあった、光学機器メーカー「ペンタックス株式会社」の社名でありブランド。
旧名は旭光学工業株式会社で日本における一眼レフカメラのパイオニア的存在だが、メガネ用レンズ、双眼鏡、望遠鏡、医療機器メーカーとしても定評があり、民生用ウイルス(花粉)ガードマスクウイルスガード プリーツといった製品も販売している。
1952年にエバーセット型リターンミラーを採用した日本初の35mm一眼レフカメラ「アサヒフレックスI型」で小型カメラ製造に参入した。1954年に後の一眼レフ必須の機能となるクイックリターンミラーを備えた「アサヒフレックスII型」を発売。1957年にアイレベル型ペンタプリズムとクイックリターンミラー双方を備えた「アサヒペンタックス」*1を発売。この呼称はペンタプリズムと一眼レフレックスを足して2で割ったことに由来し、その革新性から「ペンタックス」は旭光学そのものを示すブランドネームとなった。2002年には正式な社名として採用されている。
「アサヒフレックス」時代の独自ねじマウントから「ペンタックスAP型」で国際標準のM42マウントを採用し、1964年に発売した「アサヒペンタックスSP」の成功よりM42マウント=ペンタックスマウントと呼ばれるに至り、国内アマチュア向け一眼レフカメラでは指折りのシェアを獲得した。1975年「ペンタックスK2」で機能拡張のためKバヨネットマウントに変更した。このマウントはデジタル一眼レフカメラ時代となった現在でも上位互換の形で継続している。なお、Kマウントは特許を公開する形で同業他社にも採用され、ある程度の業界標準を作ることに貢献した*2。
機種別の歴史としては「アサヒペンタックスS2スーパー」で一眼レフの価格を一気に大衆化させ、日本屈指のベストセラーカメラ「アサヒペンタックスSPOTMATIC(アサヒペンタックスSP)」で地位を確立、小型軽量化と高機能低価格路線を決定付けた「アサヒペンタックスME」、旭光学60周年記念高級カメラ「ペンタックスLX」、日本初のTTL-AF一眼レフカメラ「ペンタックスME-F」、ペンタックス初のシステムAFカメラ「ペンタックスSFX」、現行最上位機種「ペンタックスMZ-S」などを発売。それらと並行して「アサヒペンタックス6×7」「ペンタックス645」「ペンタックスauto110」など各種フィルムサイズの一眼レフを販売し、長年にわたり文字通りの「一眼レフ専業メーカー」であり続けた*3。
デジタルカメラメーカーとしてはコンパクト機の「オプティオ」シリーズの他、2003年にはペンタックス初のデジタル一眼レフカメラ「*ist D」を発売。2006年11月に発売された手ぶれ補正機能付きデジタル一眼レフカメラ「K10D」は優れた機能と買い得感からこの分野としても異例なほどの人気を獲得している。なお2005年10月、韓国「サムスンテックウィン」とデジタル一眼レフカメラの共同開発をすることで合意の発表がされた。
2006年12月21日、2007年10月1日にHOYA株式会社を存続会社とし経営統合することで基本合意に達していたが、2007年4月9日に両社の合併比率やHOYAが示したカメラ事業売却の可能性などによる株主の不満を受けペンタックスの取締役会が社内で分裂、経営統合の中止を計画していることを認めた。HOYAはこれを受けて、ペンタックスとの統合手法に株式公開買い付け(TOB)を提案した。ペンタックスは独自再建案として中期経営計画を発表し、HOYAとの統合なしでの再建を訴えた。しかし市場の支持が得られず、HOYAとペンタックスは2007年5月31日、ペンタックス株のTOBを実施することに関し合意を交わした。買付価格は1株770円。開始時期は6月上旬を予定している。 なおペンタックスの代表取締役社長には、2007年6月27日付で現執行役員の谷島信彰が就き、綿貫宜司社長は退任する。異動の理由は「経営体制の刷新のため」としている。 HOYAからは取締役にHOYAサービス社長の大原幸男氏と、HOYAグループ法務総括責任者のGeorge Stuart Souther氏がペンタックスの取締役に就く予定。HOYAのペンタックス株保有比率が50%を越えた時点で取締役となる。HOYAは2007年9月末の時点でペンタックス株の90.63%を保有。
HOYAは2007年10月29日、8月に子会社化したペンタックスを2008年3月31日に吸収合併すると発表した。今後はHOYAの事業部門に取り込まれるが、デジタルカメラ及び内視鏡などの事業はペンタックスブランドで継続する。
2011年7月、リコーはHOYAからデジタルカメラや交換レンズをはじめとしたPENTAXイメージング・システム事業を買収する契約を締結した。
2011年10月1日付でHOYAがリコーへ譲渡する事業を継承した新会社・ペンタックスリコーイメージング株式会社を設立し、これの全株式をリコーに譲渡するかたちがとられた。