もう無い喫茶店について雑記する際に、店名がわからないというのは大変残念である。 なぜなら、「もう無い」が故に、店名くらいしか手がかりがない場合があり、雑文は雑文にしても、本当に雑な文章になってしまうからである。それなら、本懐の喫茶店探訪において、細密で濃厚な文字列を連ねているのか?と問われれば、そっちもどうせ雑極まりないのだから、こっちも雑の極地でいいような気もする。いつも雑な癖に偉そうな口聞いてもらいたくないよね。むしろ、雑を自覚した雑味しか醸し出さない文章は得意中の得意。だからといって、目的地を定めずに発車した列車は止め方すら分からなくなる。アンストッパブル。 ので、店名をかすかにでも読み…