ボーア戦争

(一般)
ぼーあせんそう

イギリスが南アフリカのオランダ系入植者国家、トランスヴァール共和国オレンジ自由国を併合するために行った戦争。南ア戦争、南アフリカ戦争、ブール戦争とも。
第一次ボーア戦争(1880年〜1881年)と第二次ボーア戦争(1899年〜1902年)があるが、普通は第二次ボーア戦争のことを指す。

第一次ボーア戦争

1880年〜1881年
ダイアモンド鉱山を持つトランスヴァール共和国をイギリスが併合しようとした戦争。
1881年のマジュバ・ヒルの戦いで英軍は大敗。このためプレトリア条約でイギリスはトランスヴァール共和国を承認した。

第二次ボーア戦争

1899年〜1902年
金とダイアモンドの独占を狙うケープ植民地首相セシル・ローズらはトランスヴァール共和国併合を諦めてはいなかった。
今度は選挙で攻めようとしたが、トランスヴァール大統領のポール・クルーガーはその思惑を見抜き、1893年に(外国人労働者である)イギリス人鉱山事業従事者の選挙権を制限する。
次は武力で行こうと1895年にジェームソン事件を引き起こすが、ボーア人の民兵(コマンドゥ)に阻まれ失敗、セシル・ローズは引責辞任する。
危機感を強めたトランスヴァールは1899年にオレンジ自由国と同盟、ついに戦争がはじまった。
当初イギリス側は状況を楽観的に見ていたが、スマッツボタ(ボータ)らに率いられたボーア民兵は巧妙なゲリラ戦を展開してイギリス側は大苦戦を強いられる。このためイギリスは45万人という空前の大兵力を投入した。これによってブルームフォンテン、ヨハネスブルク、プレトリアといった主要都市を陥落させる。普通だったらこれで戦争は終わるはずだったが、ボーア人たちは諦めず、さらに2年間にわたるゲリラ戦が続いた。
最終的に20世紀型の戦争を完遂するために生まれてきた男、キッチナーがゲリラ支配地域の住民を「強制収容所(concentration camp)」に押し込める(劣悪な環境により2万人以上が死亡したとされる)という作戦によってゲリラを日干しにすることに成功、英国の勝利で戦争は終わった。
イギリスはボーア人の住む両国を占領して植民地とし、1910年に南アフリカ連邦を建国した。ただし、戦争で苦戦したことからイギリス側はアフリカーナー達に大幅な自治権を認め、南ア連邦の主導権はボーア人たちが握ることになった。

「英国史上最も不人気な戦争」とまで呼ばれたこの戦争は、大義もなければ正義もなく、さらにボーア人に対する非人道的行為などから親ボーア・反植民地主義を唱える勢力を盛り立て、大英帝国の正当性に対する深刻な疑念を呼び起こした。自由主義と帝国主義との相克は、その後の大英帝国の終焉まで(もしくは今日の北アイルランド問題まで)続くこととなる。

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