Masada
イスラエルの山の名前。
紀元73年に籠城していたユダヤの民が集団自決したことで知られる。
紀元70年、ティトゥス(後の皇帝)率いるローマ軍はついにエルサレムを陥落させ、ユダヤ戦争を終わらせたかに見えた。
が、「熱心党」と呼ばれる967人がマサダ山上の城塞都市に立てこもった。ここはヘロデ大王が築かせた難攻不落の拠点であり、守備側が寡兵でも攻略は容易ではなかった。
ローマ軍は最終的には得意の土木技術に頼ることを決定、2年ばかり延々と土堤の建設を続けて砦への近接路を確保するという正攻法に出た。斜路が完成すれば落城は確実と思われた。
紀元73年5月2日、ユダヤ側は、ローマに囚われ奴隷とされることを拒み、最後は集団自決して全滅*1した。ここに古代イスラエルは完全に滅び、以後ユダヤ人はさまよえる民となる。
マサダの悲劇を繰り返すなとのスローガンは今日のイスラエルの安全保障に対する過度の警戒心の一部を構成するものと見なされている。
*1:女性2名とその子供5名のみが生存し、「ユダヤ戦記」著者のヨセフスに要塞内の事情を語ったと伝えられる