元カーレーサー。1940年2月28日生まれ。 イタリア出身だが、出身地は戦後ユーゴスラビア領内クロアチア領となったリエカ(イタリア名フィウメ)近郊だったため一家でアメリカに亡命し、アメリカ国籍となった。 F1(1978年)とIndy(通算4度のシリーズチャンピオン、Indy500でも1勝)で頂点に君臨し、さらにはデイトナ500の優勝経験(1967年)もある。 息子のマイケル・アンドレッティとジェフ・アンドレッティ、孫のマルコ・アンドレッティもレース界に進んだ。
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F1漫画不朽の名作 赤いペガサス第1巻より引用 前々回までクルマのお話を3回書いたところで、漫画編で思い出の深い作品がもう一作あったことを思い出しました。今回はそのお話。 僕が高校生だった1970年代後半、少年サンデーに連載されたF1漫画『赤いペガサス』。 作者・村上もとか氏による、当時未だ一部のマニアにしか知られていなかったF1というモータースポーツ。その緻密な描写とドラマティックな展開に毎週ワクワクしながら、毎週水曜日の少年サンデーの発売を楽しみにしていたことをよく覚えています。 この漫画、「GT roman」同様、数年前て電子書籍で買い直しました。 宿命を背負った天才レーサー 主人公・ケ…
最後にロータスに乗っていたのは2001年まで。 クルマはロータス・エクセル S.A.(2+2のクーペ/AT)だった。 基本設計が古く色々と問題を抱えていたが、まぁいいクルマだった。 日本に軸を半分置くようになった上に還暦を迎え自分の残り時間が少なくなってきた。そしてその年数も大体見える。 こうなってくると気持ちの中で再び最後にロータスに乗ろうかな?と言う気持ちが出てくる。 最初は24歳の時のエスプリS2(N /A)。 次は30の頃の時のターボ(ジウジモデル)。 そして最後は34の時にエクセルと続いた。 ビッグスケールF1コレクション 8号 (ロータス79 マリオ・アンドレッティ) [分冊百科]…
www.as-web.jp 1978年のF1世界チャンピオンであるマリオ・アンドレッティは、F1オーナー、リバティ・メディアのCEOグレッグ・マッフェイから、アンドレッティ・グローバルのF1参入を阻止するために全力を尽くすと個人的に言われたと述べており、その露骨な態度に衝撃を受けたという。 なんかF1を私物化してるやつがいるなぁ。実際には私物なのかもしれないけど。
アンドレッティの2025年~2026年F1参戦がF1側から却下されてしまったわけですが、非常に愚かな決定でした。 各チームは分配金が減ることを懸念して反対していたようですが、あまりにも短絡的で、FOMがF1というスポーツのことは全く考えていないのが露呈した瞬間でした。 アンドレッティはキャデラックと組んでいることもあり、かつてF1に参戦していたスーパーアグリと比べても遥かに大きな組織です。 そして自動車メーカーにとって重要な市場であるアメリカのチームであり、F1がラスベガス、COTA、マイアミと3戦行われることを考えれば、アメリカ国籍のチームを拒否するのは馬鹿だとしかいいようがありません。 競…
1985年のインターTECはボルボ240ターボの独壇場。それに続くのがスタリオン。 グループAによる全日本ツーリングカー選手権が盛り上がった! 「グループAレース クロニクル 1985-1993 JTC9年間の軌跡(モーターマガジン社)」というムックを企画、編集、執筆した。この9年間は日本のツーリングカーレースで最も熱く、人気を得た時代だった。もともとグループAという車両規定は、「自動車レースというのは放っておけば際限なくお金の掛かるものなので、改造範囲を絞り普通のクルマで、できるだけコストをかけずにやろう」というコンセプトというか建前から生まれたと言っていいだろう。それによる本格的な国内レー…
★★★★☆ あらすじ 車だけの世界。カーレースでチャンピオンを狙う自信満々で傲慢な若者は、次のレース会場に向かう途中の寂れた町で足止めを食らってしまう。 www.youtube.com 感想 カーレースのシーンから映画は始まる。よくあるレースシーンと言えばそうなのだが、迫力あるエンジン音にアップテンポの音楽、走り抜ける色とりどりのレースカー、沸き立つと観客と、五感を刺激する心躍るスタートで掴みはばっちりだ。アニメならではのコミカルな動きもあって楽しませてくれる。 人間は存在せず、車しかいない設定の世界観で、蠅や牛的なものまで車の形をしている。最初に車2台がレースの実況・解説しているのを見た時に…