〈われ〉ー〈なんじ〉の根源語は、自分の全身全霊を傾けて語るよりほか方法がない。わたしが精神を集中して全体的存在にとけこんでゆくのは、自分の力によるのではない。しかし、そうかといって、自分なしでできることでもない。まことに、〈われ〉は、〈なんじ〉と出会うことによってはじめて、真の〈われ〉になるのである。わたしが〈われ〉となるにしたがって、わたしは相手を〈なんじ〉と呼びかけることができるようになるのである。 すべての真実なる生とは、まさに出会いである。(マルティン・ブーバー『我と汝』野口啓祐 訳、講談社学術文庫、2021) こんばんは。5月29日の月曜日に年休を大胆に駆使して代官山へ行き、社会学者…