ムハンマド・アリー

(社会)
むはんまどありー

エジプトのムハンマド・アリー王朝創始者。
マケドニア生まれのアルバニア人の下級軍人の息子として生まれ、ナポレオンのエジプト侵攻に際してオスマントルコの軍の一員としてエジプトへ。
その後頭角を表し、カイロ市民から「パシャ」として推戴され、オスマントルコ帝国からもエジプト州ヴァーリー(太守)として叙任される。

その後、国内のマムルークやアラビアのワッハーブ派を粛清,スーダン、クレタ島やキプロス島にも一時支配した。
その後、オスマントルコからの独立を画策し、戦争も優位に進めた。
最終的にはヨーロッパ諸国の干渉により、完全独立はならなかったが、トルコの支配下にありつつもエジプト大守の世襲権を得た。

産業では用水灌漑や西洋式工場の建設など、エジプト近代化を推進した。
メフメット・アリー

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