モハメド・アリ

モハメド・アリ

(スポーツ)
もはめどあり

モハメド・アリ (Muhammad Ali)*1
アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイズヴィル出身。旧名はカシアス・クレイ(Cassius Clay)。
子供のころに自転車を盗まれたことからボクシングをはじめる。
1960年のローマオリンピック、ライトヘビー級金メダリスト。その後プロに転向してヘビー級タイトルを獲得、その直後にブラックムスリムの信徒であることを公表して、リング名をムスリム(イスラム教徒)名のモハメド・アリ(使徒ムハンマドアリーに由来)に改めた。参照→マルコムX
 アリはアメリカ社会に批判的な言動を繰り返し、ベトナム戦争への徴兵を拒否したことから無敗のままヘビー級タイトルを剥奪され、4年間試合を禁じられたが、復帰後、実力でタイトル奪還を果たした。当時からアメリカの差別社会に反抗の意思があり、金メダリストになっても、レストランで白人ウェイターから不当な扱いを受けたことから、金メダルを川に投げ捨てたという逸話がある。またフォアマン戦の際は、アメリカ代表として敵地アウェーに乗り込みタイトル戦となったが、アリ自身は自らのルーツ・アフリカ大陸に愛着が強く、アフリカの地元住民からも敵地ながらもフォアマンに劣らない多くの支持をえたという。
そのボクシングスタイルはヘビー級という最重量級に華麗なフットワークによるアウトボクシングを持ち込んだもので、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と形容された。このボクシングスタイルに関してはシュガー・レイ・ロビンソンの影響を指摘する声もある。また、アリと常にコンビを組み、後にはシュガー・レイ・レナードを育てた名トレーナー、アンジェロ・ダンディーの存在も特筆すべきものである。アリの活躍はベトナム戦争、黒人解放運動といった1960年代のアメリカ社会の背景を抜きにしては理解できない。
パーキンソン病に苛まれ闘病中だった。
七女であるレイラ・アリもプロボクサーだった。

略歴

1960年 プロデビュー。
1964年 ソニー・リストンを7ラウンドTKOで倒し、世界ヘビー級タイトルを獲得。9度防衛。
1967年 世界ヘビー級タイトルを剥奪。
1971年 ジョー・フレージャーのもつ世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、判定負け。
1974年 ジョージ・フォアマンを8ラウンドKOで倒し、世界ヘビー級タイトルを獲得(キンシャサの奇跡)。10度防衛。
1975年 アントニオ猪木と異種格闘技戦を行う。結果は時間切れ引き分け。
1978年2月、レオン・スピンクスに判定負けし、タイトルを失う。
9月、レオン・スピンクスに判定勝ちし、タイトルを奪回。(3度目の返り咲き)
1980年 ラリー・ホームズに11ラウンドTKOで敗れ限界説が流れるも、復帰。
1981年 後の世界チャンピオンになるトレバー・バービック(マイク・タイソンの挑戦に敗れ、タイソンの最年少ヘビー級チャンピオンを記録を作ったときの相手で、後にプロレスで高田延彦と闘う)に敗れ引退。 2005年、米国で文民に贈られる最高位の「大統領自由勲章」を受章した。
2005年、「大統領自由勲章」を受章。
2016年6月3日、死去。

戦績

61戦56勝(37KO)5敗

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*1:日本語ではムハマド・アリと表記することも

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