〈おわり〉は〈はじまり〉を知るが、〈はじまり〉は〈おわり〉を知らない。〈はじまり〉は〈おわり〉の出現によってつねに凌駕されるが、〈おわり〉にとって〈はじまり〉はなお不可欠の淵源である。〈はじまり〉の悪遺伝をかこつ者も、〈おわり〉の蛇尾に歯がみする者も、ひとしく前者から後者へと向かう流れの中にあるのだ。そして、それこそが生の方向だと思い知った者は、滔々たる流れに抗して、過去を想起し、未来に問いかけ、あわよくば流れを変えようとする企てをやめない。あるいは、生の時々において、逆らわんとしつつもなお流されつづける己れを見出すのだ。 小説中の〈はじまり〉と〈おわり〉は、むろんたくらまれ仕立てられたもので…