《2003年4月1日付け記事の再録》 94年の9月、トルコから帰国すると、とりあえず川崎市にある産廃屋でダンプの運転手として働き始めた。 この会社を選んだことに特別な理由があったわけではない。「住み込み歓迎」と書いてあるのが目に留まったのと、川崎市なら韓国人がたくさんいるかも知れないと考えたぐらいである。 トルコにいた3年の間に、以前せっかく学んだ韓国語がシドロモドロになってしまっていたのをなんとかしたいと思っていたのだ。実は私が韓国語を勉強し始めたのも、その昔お世話になった産廃屋の社長が在日の朝鮮人であったことがきっかけだった。それでこの川崎の産廃屋も、ひょっとして在日の人の会社ではないだろ…