Jan Svankmajer〔ヤン・シュワンクマイエル/シュヴァンクマイエル/シュヴァンクマイヤー〕。
1934年9月4日、プラハ生れの「パペット・アニメーション」作家。
父は窓枠業者、母は洋裁師だった。
1942年のクリスマス、操り人形とその劇場セットを与えられ、最近代の女子の「リカちゃん人形」やコミック・ヒーローのフィギュアで少年男子が行うような、奔放な空想劇を繰り広げた。 → 但し18〜19世紀には伝説的な人形遣い「マチェイ・コペツキー」が「普段はパッとしないが、イザという時には力を発揮する」『カシュパーレクの英雄伝』を劇で演じ、大人気を博しているし、1920年にはユダヤ系チェコ人の「カレル・ドダル」が、靴屋の宣伝用のアニメーションを作っっており、1938年には妻の「ヘルミーナ・ティールロヴァー」と共に人形アニメーションの『カンテラの謎』を製作しており、1941年からはズリーンのAFITスタジオに移って「カレル・ゼマン」や「ガリク・セコ」、そして「イジー・トルンカ」といった錚々たる面々を部下に、精力的なアニメ製作を始めた時期であり、「ブームの魁」とは謂えないけれども「第一走者グループ」には追い着いていた。今日であれば、ITをツールとして駆使しない少年少女はいないのと同様である。
1950年、プラハの大学で応用アートを学び、カレル・ティゲの『臭う世界』を学友に教わってからは「シュールレアリズム」にも目覚める。
デカダントなブルジョワ芸術を批判するソビエト製の著書の中で、サルバドール・ダリの絵を目にする。ロシアン・アヴァンギャルドに乗めり込み、メイエルホリドとタイーロフ、エイゼンシュテインとヴェルトフは彼の“ヒーロー”だった。シュールレアリスムのルイス・ブニュエルやマックス・エルンスト、そしてジョアンミロなども必死で研究した。『カルロ・ゴッツィの雄鶏王』なる卒業制作を行うが、ここで使用した人形やスタッフをシュヴァンクマイエルは後の代表作『ドンファン』や『ファウスト』においても用いている。
1957〜58年には「D34シアター」で働き、『ドンファン』のモチーフをまた試みているし、国立パペット劇場でディレクター兼デザイナーとして働き、彼の最初の重要な協力者であるエミール・ラドックの援助を得て、『ヨハネス・ドクトル・ファウスト』を始動させている。
この翌年、1959年には「ヴェニス・フィルム・フェスティバル」で最優秀賞を獲得している。そしてこの際、「トルンカ/ゼーマン/ポヤールの影響」を挙げ、「チェコ・アニメの有する価値はまだ充分に理解されていない」と述べた。
1958〜60年はマリアンスケ=ラズネで義務兵に従役。この間は碌に製作らしい製作も叶わず、せいぜい揉みくちゃにされた反故の上にデッサンを書いたり、不透明水彩(=グワッシュ/ガッシュ)を行う程度だった。
しかし1960〜62年、シュワンクマイエルはプラハのセマフォル劇場の一角に仮面劇場を設立し、『普通の兵士ヴィテズラヴ・ネズバル』の話や『サーカスでのマヘンの難破』、『糊付け頭(Skrobene hlavy)』、『ヨハネス・ドクトル・ファウスト』、『影の蒐集家』、『サーカス・サクリック』等々を上演。このころ超現実主義者画家の、後の夫人である「エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー」と仕事上で知り合う。
1962年にはパリを訪問した後、プラハで有名なランタナ・マジカ(幻灯機)劇場に参加。
1963年に長女ベロニカを設ける。
そうして、ランタナ・マジカ劇場を去った1964年以降、『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』を始めとして、『J.S.バッハ-G線上の幻想』('65)『家での静かな一週間』('69)『庭園』('68)『オトラントの城』('73~79)等々、10分前後の物を続々製作。 → この最初期の短編群は『ジャバウォッキー〜その他の短編〜』に収録されている。続く作品群は『ドン・ファン〜その他の短編〜』に、更には『シュヴァンクマイエルの不思議な世界』と続く。(2006年3月の現状では殆ど彼ののDVDがコロムビアミュージックから出されている中、この『不思議な世界』のみはタゲレオ出版から出された。)
この間、ヴラストラフ・エッフェンベルガーのチェコスロバキア・シュールレアリスト・グループに出会い、意気投合、参加。
1973年には着手したての『オトラントの城』が、前年公開の『レオナルドの日記』でチェコスロヴァキア当局の審査に抵触し、製作中止の命令を受け、頓挫。この共産党政権下でブラックリストに記載され、以後7年間もの間、(1958〜60年の徴兵以来2度目の)映画製作断念を強制された。
が、1979年に漸くこの禁令が解除されると、中断していた『オトラントの城』(18分)を完成させ、堰を切ったように1980年の『アッシャー家の崩壊』(15分)、そして1988年には初長編の『アリス』(85分)、1994年の『ファウスト』(92分)、1996年の『悦楽共犯者』(87分)と旺盛な製作ぶりを揮っている。
2000年には奥さんのエヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーが原案を呈したチェコ民話の『オテサーネク』(127分)を撮影。(→既にDVD化済。)
そして昨年(2005年)10月20日にこの夫人、1940年9/25生れのエヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー逝去。65歳。
今春(2006年春)公開される『Lunacy ルナシー』(=Šílení)(長編) のポスターもこの夫人のエヴァが描いたものだった。
チェコアニメに不動の地位を与えたのはこのヤン・シュワンクマイエルだし、彼によって「パペット・アニメーション」の可能性や精神的意義が確立されたため、この後に多くのパペット・アニメ作家が生まれたのはいうまでもない。中でも頭角を現したのが、『ストリート・オブ・クロコダイル』のブラザーズ・クエイ(ターセム・シンが『ザ・セル』で“飾り窓”のような小部屋の並ぶ幻想シーンを撮ったのはクエイへのオマージュだ!)や、『ウォレスとグルミット』のデイヴ・ボースウィックなど。
あるいは『パットとマット』シリーズのルボミール・ベネシュ(1935〜995年)や、『けちん坊バルカ』・『マリシュカと狼の館』・『樫の葉が落ちるまで』のヴラスタ・ポスピーシロヴァー(1935年〜)、『魔術師』・『人形は人間の最大の友』などのイヴァン・レンチ(1937年〜)、『ジェネシス』のヤナ・メルグロヴァーや『粘土』のヤロスラフ・ザフラドニーク(1938年〜)、『愛のいちべつ』や『カリキュラム』・『視角の外』のパヴェル・コウツキー(1957年〜)、
ルネ・ラルーやジャン=フランソワ・ラギオニ、フレデリック・バックにジョルジュ・シュヴィツゲベルも在る。アレクサンドル・ペトロフ、ポール・ベリー、『チェブラーシカ』のロマン・カチャーノフも既に大物だ。
『原始哺乳類』と『ババルーン』のミハル・ジャプカに、『ワンナイト・イン・ワンタウン』のヤン・バレイ、『メカニカ』のダヴィット・スークップ、『海賊』・『3人のフーさん』のヤン・ブベニーチェク、『大いなるくしゃみ』のノロ(ノルベルト)・ドゥルジアク、『フィムファールム』や『落下』そして『魔法の鐘』で狂気スレスレの個性を示すクアウレル・クリムトなども既に注目を集めている。
そして何といっても最早、国際的となった「広島国際アニメーションフェスティバル」から羽ばたいて行ったパペニメ作家も多い。フレデリック・バックや手塚治虫、ミカエラ・パヴァラトヴァ、シルヴィアン・ショメ、ウエンディー・ティルビー、アマンダ・フォービス、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット、山村浩二などがそうであるが、いづれも活躍している。
が、ここで肝腎なのは、「殆どシステム」と考えてよい表象の意識のまま作られた物など、それが何であれ薄弱であり、別に心を打たないばかりか、枉がった思想性は却って反感を催す。勿論“そういう手法”もあるにはあるが、人が増え・発信者もインフレ状態に陥る中、そんな“裏の裏の裏を掻く”如き複雑性に必要性はあるだろうか? 求められるのは“量産”ではない。その中に宿る強い“叡智”であり、邪雑ではない揺るぎないプラトニックな迄の“愛”だ。「瞬間たのしい」とか「目先が面白い」なんざ、次の日には忘れてしまう。
そういう一切を考え、見直してみた時に、残ってくるのがチェコ・アニメ初期の大家たち;ヘルミーナ・ティールロヴァー であり、イジー・トルンカやカレル・ゼマンであり、ユーリ・ノルシュテインやイジー・バルタやブジェチスラフ・ポヤルなどなのだ。オルドリッチ・リプスキーやヤロスラフ・クチェラ、ヤロミール・イレシュなのだ。中ん就くこの「ヤン・シュワンクマイエル」は独り傑出している! 孤高なまでに… そこにはオントロジーが伸た打ち回っており、「哲理」を超えた「哲学」が結実している!
:芸術家
:映画監督
チェコ共和国のシュルレアリスト、アニメ・映像作家、造型作家。
ヤン・シュヴァンクマイエル 「ジャバウォッキー」その他の短編 [DVD]
ヤン・シュヴァンクマイエル 「ドン・ファン」その他の短編 [DVD]
シュヴァンクマイエルのキメラ的世界 幻想と悪夢のアッサンブラージュ [DVD]
ヤン・シュヴァンクマイエル PREMIUM BOX [DVD]
シュヴァンクマイエルの博物館―触覚芸術・オブジェ・コラージュ集
GAUDIA 造形と映像の魔術師 シュヴァンクマイエル―幻想の古都プラハから
ヤン&エヴァシュヴァンクマイエル展 アリス、あるいは快楽原則