人名:ゲームデザイナー【Eugene P. Jarvis】(ユージィン)
ヴィデオゲームの根源的な面白さとは何か?その答を知りたいと貴方が感じたならば、Eugeneの作品をプレイすれば良いのだ―――。
hpを経て1970年代後半にアタリへ入社、同社にてピンボールソフトウェアプログラマーとしての経歴をスタートさせるが、アタリピンボール部門の閉鎖に伴いウィリアムスへ移籍。1980年、アタリ時代からの同僚にして、後にカリスマとなるピンボールデザイナー「スティーブ・リッチー(Steve Ritchie)」と共に、17000台以上売り上げたヒット作"Firepower"の製作に携わる。そして同年、発足したばかりのウィリアムスビデオゲーム部門にてLarry DeMar等と共に不朽の名作"Defender"を作り上げる。
世界初のスクロール・シューティングゲームとなる本作は、圧倒的なスピード感、そして絶妙なゲームバランスを実現し、翌年の1981年にはドンキーコング、パックマン、ミサイルコマンドなどの強力なライバルを押しのけAMOA(全米オペレータ協会)から「Video Game Of The Year」を受賞。
これに気を良くしたウィリアムスは同社のヴィデオゲーム部門の拡大を図るが、その動きにプレッシャーを感じたEugeneはLarry DeMarと共にヴィデオゲームデザインのための独立スタジオ"VID KIDZ"を設立。そしてLarry DeMarのアイデアによる続編"Stargate(Defender2)"をリリース。
1982年には"Berzerk(1980/Stern)"にインスパイアを受け、8WAYツインジョイスティック使用のシューティングゲーム"Robotron:2084"を、1983年には光学式49方向レバーを使用した擬似3Dシューティングゲーム"Blaster"をと、精力的な活動を見せる。
その後も現在に至るまでコンスタントに作品をリリースし続けるが、近年になりアーケードゲームの開発を目的とした新会社"RAW THRILLS"を設立。2003年にはアタリ〜ウィリアムス時代の盟友スティーブ・リッチーがStern社で"Terminator3: Rise of The Machines"を発表、業界復帰した事もあり欧米のゲームファンの注目を集めている。
2005年には国際ゲーム開発者協会(IGDA)よりGame Developers Choice Awards生涯功労賞を受賞。
"The only legitimate use of a computer is to play games."- Eugene Jarvis
「コンピュータの唯一正しい使い方、それはゲームを楽しむ事です」ユージン・ジャービス
作品リスト
関連作品
※移植作品は膨大な数に上るため割愛。オリジナル要素を含むもののみを掲載した。