(Jonathan/Yonatan)(紀元前11世紀頃)
旧約聖書『サムエル記』に登場する人物(以下の聖書の引用はすべて『サムエル記』I・IIより)。イスラエルの初代国王・サウルの長男。
ヘブライ語で「神に与えられた」の意味。
英語のジョナサンやネイサン(Nathan)、フランス語ジョナタンやナタン(Nathan)、イタリア語ジョナタ、スペイン語ホナタンは彼の名に由来する。
父:イスラエル王サウル
母:アヒアマズの娘アヒアノム
兄弟等:(男性)エスイ、マルキシアム (女性)メラブ、ミカル(ダビデの妻)/異母弟 イシボセテ(40歳のときにサウル軍の長アブネルによって2年間イスラエルを王として統治した)
息子:メピボセテ(ヨナタンが戦死した時、5歳の幼児だった。戦火を逃れる際、足に障害を負ってしまう。ダビデに厚く庇護される)
「ヨナタンの弓は退かず」(II第1章第22節)という弓の名手であり、優れた戦士だった。
サウルがイスラエル十二部族の王として即位して間もないペリシテ人との戦いが起った。サウルの指揮下のイスラエル軍二千人がエルサレムの北部ゲバに配置された敵の守備隊を後衛から孤立させる一方で、ヨナタンは千人を率いて正面攻撃をしかけ、敵を一掃した。
その後、ペリシテ人が素早く体勢を立て直し、戦車・騎兵・歩兵らがエルサレムに近いミクマスの町を占拠し、サウルのもとには六百人の部下が残るのみとなり、絶対絶命の危機に陥った。
しかし、ヨナタンは従卒を一人のみ連れ、渡し場の岩壁をよじ登って夜間に敵陣を奇襲し、ペリシテ兵一分隊を破った。
この奇襲の成功により、ペリシテ軍は大混乱となり、結果イスラエル軍は攻撃を仕掛け、勝利を得た。
また、敵を追跡中は断食せよという命令をサウルが発したことを知らず、ヨナタンは食物(蜂蜜)を口にしてしまった。そのため、神の怒りを買い、サウルはヨナタンに死を申し渡したが、兵達がヨナタンの助命を嘆願したため、命令は撤回された(I第14章)。
サウルの後継者としての地位が約束された彼だったが、ダビデとの出会いがその運命を大きく変えた。
ダビデ、サウルに語ることを終へしときヨナタンの心ダビデの心に結びつきてヨナタンおのれの命のごとくダビデを愛せり。(I第18章第1節)
巨人戦士ゴリアテを倒し、宮廷で父に謁見するダビデを見た時からヨナタンはダビデに強い友情を感じ、二人は無二の親友となった。
ヨナタンとダビデ契約を結べり。ヨナタンおのれの着たる上衣を脱ぎてダビデに与ふ。その戦衣およびその刀も弓も帯もまたしかせり。(I第18章第3〜4節)
ヨナタンはダビデに友情の証として、マントや上衣、弓、刀などの贈り物をした。当時、それらの武器は王族しか持つことのできない、大変貴重なものだった(I第13章第22節)。
しかし、やがてサウルが王位を奪われるという被害妄想を抱き、ダビデを殺害せんとしたことから、ヨナタンは父と親友との間で苦悩することになる。
サウルの企みを知ったヨナタンは、ダビデに安全な場所に身を隠すように忠告し、サウルにこれまでの王とイスラエルに対するダビデの功績を情理を尽くして訴えた。
ヨナタンの熱弁にサウルも心を動かされ、一度はダビデを殺さないと神に誓ったが、ダビデが武勲を重ねるうちに再びサウルは妄想にとらわれてしまう(I第18章第6節〜第19章第17節)。
ヨナタンは、父が神に誓って自分のとりなしを受け入れたのだから、父のダビデへの殺意は解消されたものと信じた。実際にはヨナタンの知らぬ所でダビデ殺害計画は何度も企てられていた。
「われは死をさること只一歩のみ」(I第20章第3節)、命の危険がすぐそこまで迫っているというダビデの訴えをヨナタンは最初は信じることができなかった。
「新月祭に自分はサウルに無断で欠席するから、理由を問われたらダビデの実家の方で行われる例祭に出席したと言って、サウルの反応を確かめて欲しい」とダビデは依頼した(I第20章第5〜7節)。更にダビデは、もし自分に咎があるのであれば、サウルよりも親友のヨナタンの手にかかって死にたいと訴えたため、ヨナタンもついに父の真意を確かめ、結果を知らせると約束した(I第20章第9節)。
ヨナタンは、ダビデに父の真意が明らかになるまで以前身を隠していた場所に隠れ、自分のサインを待つように言った。そして、従者の子供の手前に矢を三本放った時は安全のしるし、反対側に放った時は危険のしるし、と打ち合わせた(II第20章第20〜22節)。
新月祭の宴にダビデが欠席した理由を、サウルは身の汚れであろうと想像したが、二日目も欠席したので不審に思い、ヨナタンに理由を尋ねた。
それが、ダビデの家族の願いであるという答えにサウルは激怒した。
ダビデが王である自分よりも家族を重んじたこと、自分を無視してヨナタンにその理由を告げたこと、ダビデ殺害の好機を失ったこと、自分ばかりでなくヨナタンの将来の王座をもダビデが脅かしていること、それらの思いが爆発したのであろう。
ダビデに対する激しい憎悪は、目の前にいたヨナタンと、そしてヨナタンの母にも向けられた。
ヨナタンが率直に自分の疑念を王に質したことで、王の激情は頂点に達し、サウルはヨナタンをも殺害しようと槍を投げつけた。ヨナタンは怒りと悲しみのあまり宴席から去ってしまった(I第20章第24〜34節)。
サウルのダビデに対する殺意が明白となったため、ヨナタンはこれをダビデに伝えなければならなかった。翌朝、かねてから決めてあった通りに、従者の子供の向こう側に放った。
童子すなはち往けり時にダビデ石の傍より立ちあがり地に伏して三たび拝せり しかして二人互いに接吻してたがひに哭く ダビデ殊にはなはだし ヨナタン、ダビデに言ひけるは安んじて往け 我ら二人ともにエホバの名に誓ひて願はくはエホバ恒に我と汝のあひだにいまし 我が子孫と汝の子孫とあひだにいませといへりと ダビデすなはち立ちて去る ヨナタン邑に入りぬ(I第20章第41〜42節)
ヨナタンが従者をその場より去らせた後、ダビデは石のそばから現れ、ヨナタンに感謝すると共に別れの挨拶をした。ヨナタンも、神の臨在と平安を信じつつ、ダビデを送りだし、父のいる宮殿へと帰った。彼には彼の果たすべき役割があったからであろう。
二人の友情は別れても変わることはなかった。その後、つかの間の再会を果たすが、サウルに追われているダビデを「神によりて其の力を強うせしめたり」と励まし、友情を再確認している(I第22章第15〜18節)。
ヨナタンとダビデの強い友情は、キリスト教芸術のモチーフとして、また今日でもキリスト教と同性愛を議論する上でも多用されている。
ヨナタンは、ギルボア山でのペリシテ人との戦いで父と兄弟と共に戦死した。
彼らの遺体は首を切り落とされ、近くの町ベト・シェアンの城壁に晒されたが、ヨルダン川対岸のヤベシュ・ギレアドの住民達が夜間忍んで遺体を運び出し、火葬した上でヤベシュ・ギレアドにあるギョリュウ(御柳)の木の下に埋葬した。この住民達は七日間断食したという(I第31章)。
ダビデは困難の末ヨナタンとサウルらの遺骨をサウルの父・キシュの墓へと移し、ヨナタンの友情を「女の愛に勝る愛」と讃え、その死を悼み、断食した。
そして『弓』を題する悲歌を残した(ヨナタンとサウルの属するベニヤミン族は弓の名手が多かったという)。
兄弟ヨナタンよ 我汝のために悲しむ 汝は大いに我に楽しき者なりき 汝の我を慈しめる愛は世の常ならず 女の愛にも勝りたり 嗚呼勇士は倒れたるかな戦いの具は失せたるかな(II第1章第26〜27節)
ヨナタンは父と違い、ダビデこそはイスラエルの王として神に選ばれた者であると信じていた。そして、たとえ自分が死ぬ事になったとしても、ダビデによってイスラエルに恵みが与えられて欲しいと願った(I第20章第14〜16節)。
その願いは叶い、預言者ナタンは、ダビデの王国と王座を神は永久のものにすると言い(II第7章第1〜17節)、ダビデの子ソロモンによって、イスラエルは空前の繁栄を迎えることになる。
やがてソロモン王の後(紀元前931年)、王国は南北に分断されたが、新約聖書では救世主イエス・キリストはダビデの子孫として生まれ、神が遣わされたとされている。
ペリシテ人に対する武勇と、ダビデとの別れをテーマにした作品が多い。
聖書人名録―旧約・新約の物語別人物ガイド (Truth In Fantasy)
http://en.wikipedia.org/wiki/David_and_Jonathan(ダビデとヨナタン)
(ヨナタンが戦死したギルボア山/Mount_Gilboa)