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ラウール・ウォルシュ

(映画)
らうーるうぉるしゅ

 Raoul Walsh 
 
 アメリカの映画監督。ラオール・ウォルシュとも表記されるが、原音に近い表記はラウール・ウォルシュ。
  1887年3月11日、ニューヨーク生まれ。本名アルバート・エドワード・ウォルシュ。父はアイルランド出身の建築業者、母はスペイン人。弟のジョージ(1889−1981)も後に映画俳優となる。
 数々の仕事を経て、テキサスでカウボーイになったが脚を負傷し、舞台俳優となる。地方巡業に参加した後、1909年にニューヨークで舞台俳優として活動、1910年からパテ撮影所で映画出演を始める。
 1912年にバイオグラフ社に移籍、1914年にD・W・グリフィスに従ってリライアンス=マジェスティック社に移籍。
 1913年から14年にかけグリフィスの命により、メキシコでパンチョ・ビジャの記録映画を撮り、その一部を用いて初の長編『ビジャ将軍の人生』The Life of General Villaを監督。
 D・W・グリフィスの大作『国民の創生』(1914)では助監督を務めると共に、リンカン大統領暗殺犯ブース役を演じた。
 『国民の創生』に出演している女優ミリアム・クーパーと1916年に極秘結婚。
 その後、フォックス社に移籍、最初期のギャング映画といわれる『更正』Regeneration(1915)を監督。
 ダグラス・フェアバンクス製作・主演の超大作『バグダッドの盗賊』(1924)の監督を経て、フォックス社に復帰し、『栄光』(1924)を監督。
1926年にクーパーと離婚。
 初トーキー『懐しのアリゾナ』(1929)の撮影中、自動車事故により右目を失明。以後、俳優業から引退する。
 大型西部劇『ビッグ・トレイル』(1930)、『バワリイ(阿修羅街)』(1934)の後、パラマウント社時代を経て、ウォーナー社で『彼奴は顔役だ』(1939)ほか1940年代を代表する数々の名作を監督。
 メアリ・エドナ・シンプソンと再婚するが1941年に離婚。1964年の『遠い喇叭』が遺作となった。監督作は100本を越す。
 1980年12月31日、カリフォルニア州シミ・ヴァリーにて死去。
 
主な監督作: 
『更正』Regeneration(1915)
バグダッドの盗賊』(1925)
栄光』(1927)
『カルメン』(1928)
『港の女』(1928)
懐しのアリゾナ』(1929)
『薮睨みの世界』(1930)
ビッグ・トレイル』(1931)
『各国の女』(1931)
『貞操切符』(1932)
『金髪乱れて』(1933)
バワリイ(阿修羅街)』(1934)
『男の魂』(1935)
『夜毎八時に』(1936)
『アメリカの恐怖』(1936)
『友情と兵隊』(1939)
彼奴は顔役だ』(1939)
『暗黒の命令』(1940)
夜までドライブ』(1940)
ハイ・シエラ』(1941)
いちごブロンド』(1941)
『大雷雨』(1941)
『壮烈第七騎兵隊』(1941)
『戦場を駈ける男』(1942)
鉄腕ジム』(1942)
『目標ビルマ』Objective Burma(1945)
『追跡』(1947)
『高原児』(1949)
『賭博の町』(1948)
『死の谷』(1949)
白熱』(1949)
『艦長ホレーショ』(1951)
『遠い太鼓』(1951)
『決闘!一対三』(1952)
『愛欲と戦場』(1955)
『たくましき男たち』(1955)
『ながれ者』(1957)
『南部の反逆者』(1957)
『裸者と死者』(1958)
『不死身の保安官』(1958)
『遠い喇叭』(1964)

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