「昔」というのは、恐らく学生時代辺りの話。 その当時は、ナショナルなニュアンスを帯びていた気がする。 だが、2010年代以降は、震災・災後~アベ政権下で、政治的なものを殆ど忌避していた。 社会の空気的にもそうだし、自分自身のことでいっぱいいっぱいだったということもある。 なおかつ、2010年代に特に盛り上がるようになった「多様性」への胎動なども、その当時は胡散臭く鬱陶しく見えていた覚えもある。 「保守的」というよりは、自らの中のバイアスを客観的に見つめる余裕に欠けていた、というべきだろう。 その当時の「リベラルな保守」だった自分というのは、どこに行ったのだろうか? もう消えて、いなくなったのだ…