(英名:Historic Site of Lyons、仏名:Site historique de Lyon) フランス南東部リヨン市内西部に位置する。ソーヌ川沿いにある、石畳の街並みの残る旧市街(Vieux Lyon)からクロワ・ルースにかけての地区で、1998年12月、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
2024年(令和6年)1月7日(日) 年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。最後の3ヶ国目、フランスに滞在中です。前回は再びポールボキューズ市場へ行ってのランチの話を中心に書きました。 fuwari-x.hatenablog.com 旅行最後の日、リヨンでもうひとつ見るべきはだまし絵と呼ばれる壁画。歴史地区川沿いに北へ行くと、壁画が多く描かれている地区があるらしい。8時20分、夜明けとともに出掛けました。 ソーヌ川沿いを歩いて行くと、ビルの奥に15世紀に建てられたÉglise St-Nizier(サン・ニジエ教会)が見えます。 さらに進むと歩行者専用の橋が架かっていて…
2024年(令和6年)1月6日(土) 年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。最後の3ヶ国目、フランスに滞在中です。前回はリヨン歴史地区の夜と朝の散歩の話を書きました。 fuwari-x.hatenablog.co 朝の散歩が続きます。ここからは世界遺産の建物を巡ります。そのひとつ、リヨン・ノートルダム大聖堂がフルヴィエールの丘の上に見えています。 でもその前に、川沿いのマルシェの向こう岸に見えていたサン・ジャン大聖堂から始めましょう。 サン・ジャン大聖堂はロマネスク様式とゴシック様式と併せ持った建築で、1175年に着工し300年以上かけて完成しています。完成までに10…
2024年(令和6年)1月5-6日(金-土) 年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。最後の3ヶ国目、フランスに滞在中です。前回はロストバゲージで失意の中、荷物もないままに泊まったリヨンでのメルキュールホテルの話を書きました。 fuwari-x.hatenablog.com 夜のリオン歴史地区。ベルクール広場には観覧車が回っています。地下鉄駅の乗り場で、ここへは翌日地下鉄のエージェンシーを探しにまたやってきます。 ホテル近くのメルシェール通りには魅力的なお店が軒を連ねていました。 1月5日になってもクリスマスデコレーションが健在。 でも、どのお店もメニューがすべてフラン…
前回編のラックレール式メトロに続いては、リヨン街歩きのスナップです。 フルヴィエールの丘・ノートルダム大聖堂 ノートルダム大聖堂 旧市街 ソーヌ川と市場 サン・ジャン大聖堂 おまけ 余談 フルヴィエールの丘・ノートルダム大聖堂 リヨンのランドマークと言えばこれでしょうか。街を見下ろす丘の上に立つノートルダム大聖堂。 起伏の多い街を歩くのはオッサンの良い運動になります... 雨よりマシですがテンションの上がらない曇天。聖堂などを見て過ごした方が良いですね。 ところで、丘の上から原発らしきものが見えたので調べてみたらやはりそうで『ビュジェ原子力発電所/centrale nucléaire du B…
1915年(大正4)博文館刊。長年積ん読状態だった本=積読書庫に入れたままでこの世を去る見込みだったもの、を一つ読了できた。純文学作品は物語とは一線を画して、自己の心的感興の移り変わりを書き綴っていくものだということを体得した。 エリート官僚を父に持つ荷風は20代にそのコネを使って米国とフランスの日系銀行で働きながら異国での生活を満喫する。特にフランス文化へ傾倒し、四季の移り変わりの中で街路をさまよい歩く心情が鋭い感性で個々の小文に綴られている。帰国直後の1909年に出したものは、風俗紊乱の廉で「発禁」となったが、どこがそうなのかは今では読んでもわからない。今回読んだのは1915年に「新編」と…
2024年(令和6年)1月6日(土) 年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。最後の3ヶ国目、フランスに滞在中です。前回はリヨン歴史地区のフルヴィエールの丘を中心とした世界遺産の話を書きました。 fuwari-x.hatenablog.com ランチはどうしようか?ホテルの近くを歩ているとREYNONといういかにも高級食材を扱ってそうなお店の前を通りました。 ハムやパテが中心のお店のようです。 お惣菜も取り揃えていたので、ここで買って帰るのも一案と思いましたが、最後の食事にそれはちょっと残念かも。 それでも、なぜかレストランには足が向かず、結局ポールボキューズ市場に出戻…
(県北で一押しの”産直↓↓” 1月 ネギ8本 100円なのにわざわざ袋をかけてくれ・・) 正月に圏央の国道(右車線)を少数派の"軽"で行けば、だいぶ前を行く普通車に道を譲られ驚き恐縮した、へき地県境民です。 ゆっくりゆったり走る圏央、対して北(県南〜県央)の"我先(*傾向です)"との違い、、、(*”軽”はいつも譲る立場です)。 "こちらが急がない"とわかると"元に戻り"何よりでした。 今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。 「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 6月19日(木) イギリス…