以前に他垢ブログで書いた映画評「「山守親分」観の変化」や、以前書いた「なぜ日本人は「いい人・やさしさ」「美談化」に逃げるのか?」の、補完的な内容となる。 自分の狙いは、(現代学校教育への系譜へも連なる)「道徳」と、「儒教・儒学」が、どのように日本社会や人々のものの考え方を支配しているかを抉り出したうえで排除し、近代的な(無論正確な法知識に根差した)法感覚・法意識へと植え替えるところにある。 (正確には、「仏教」的思想も支配的影響力を持ってきた(日本では「神道」も)が、ここでは便宜上、「道徳」を「儒教・儒学」との関係で整理することとする) 最近、ある動画の講義で、「日本人て『道義的責任』が好きで…