「第六章 智徳の弁」は下の段に転載した文章で終えている。 壮大な発想であるが、ここで第六章をまるまる使って事細かに長々と智徳について語っているのは何故なのだろうか。 それは福澤諭吉が育った時代、江戸時代までの日本では指導者は「有徳者」であるべきという儒教的観念が強く、この考えが当時の知識階級を含む大部を占め、社会通念にまでなっていたからだろう。 それに対して数学、物理学、天文学、経済学などの科学が世の中の進化をもたらし繁栄をもたらしたのが西洋社会である。西洋社会に対抗するためにも、そして日本もそうした進歩の好影響を享受するためにも、科学をより高い位置に置く必要があると福澤諭吉は考えたからだろう…